第96回
(話題)  江戸東京学への招待試論
(要旨)
“江戸東京学”は、かえりみると、1987年12月三省堂から刊行した“江戸東京学事典”が、本格的な江戸東京学構築のための第一歩であった。世界レベルで急激な都市化が進む中で、江戸東京の変貌の流れを究明することこそ、都市の光ある未来への鍵を探ることになると考えたからである。
江戸東京の連続性・非連続性は江戸東京学の核心となる問題である。従来、近代史も近世史も1868年の明治維新を境とした時代別研究法によって、首都を江戸と東京とに二分して究明するのが大方であった。しかし二分しては、情報基地・管理中枢または付随しておこる人口集中など首都機能の本質にかかわる問題は見極められまい。たとえば、現在の地価高騰は一極集中都市東京の欠陥を象徴するものとされるが、既に17世紀の江戸で一寸四方の土地所有権争いが起きており、荻生徂徠も「政談」で地価高騰にふれ、「江戸は諸国の掃溜」で府内の定住者は少なく常に変動していると述べている。参勤交代により50万人の武士が江戸に流入して全藩費の2/3を消費し、町方は寛文1(1661)年の30万人が享保6(1721)年には50万人(安政2(1855)年には57万)と60年間に20万人も急増している。江戸生まれの町人70%、他所出生30%(天保14(1843)年の人別帳)、かつ町方の65:35の男女比率は江戸の人口動態の特色を物語るものであり、地価にしても一極集中の問題にしても、江戸東京を通観して見る必要があることを示すものである。
明治維新では大阪遷都論が有力だったが、1.東京が日本のほぼ中央に位置し2.江戸幕政300年の有形無形の遺産を受け継ぎ3.維新政府の財政難に有利、との判断から東京が国の首都となった。明治初期の江戸は幕府崩壊により大名家臣団が帰藩し江戸屋敷も返上して人口は半減、市内の7割を占める広大な武家地はガランドウとなったが、庶民層は変化せず「世間様第一」のヒューマンなコミュニティーを保ち続けた。こうして明治14(1881)年97万、22(1889)年には139万人と人口が急増するに伴い、東京は西南方面へ向け急速な開発・宅地化が進んでいく。しかもその開発は、西欧のように自然を排除して人口的空間を築くのではなく、江戸開府の都市計画・遺産を基盤として生かした、いわば新しい都市計画不在の開発であったと言えよう。銀座や赤坂界隈など江戸と東京の地図はぴったり重なり、土地自身は今日も江戸を物語っている。
明治10年大森貝塚を発見したE.S.モースは「Day by day」で“日本では欧米心酔思想が盛んで、古いものは無くなるであろう”と言っている。事実、明治時代は改良運動が盛んで“日本人種改良論”まで唱えられた。演劇では団十郎が史実・実像に忠実な芝居を目指し、江戸を引きずる形の猥雑性を無くして海外でも恥ずかしくない演劇に改良しようとし、円朝は英国原作の翻訳物を語り、暁斎は狩野派を習熟しながらもそこを出て新機軸を目指す。そこには確かに価値観の変動があったにせよ、それは江戸東京の断絶ということを意味してはいない。生活のため培ってきた江戸職人の技術を基盤に江戸東京と連綿として連続しているのを見ることができる。暁斎が伝統の技量で漫画を描き海外から称賛を浴びるのが好例であろう。江戸を捨て近代都市に改良する試みは銀座煉瓦街や日比谷官庁街計画などに見られるが、結果として断絶しようとした江戸と今日の東京は連続の形で終わっている。
江戸時代約300藩を数えた大名の都市と将軍の居る江戸とは異なる。勅旨を宣する天皇・五摂家が住まう京都や商業の中心地大阪、かつて実質的な政権の中心地であった鎌倉とも違う顔を持つ。京都大阪の人口は漸増するもののこれら多くの他の都市は変わらず、職・市場の豊富な江戸ばかりが急増する。首都・東京は政治の中心、大阪は商業都市、京都は手工業都市と一概には割り切れず、あらゆる都市機能が集中し雑然としてかつダイナミックな江戸東京。そこから日本のみならずアジア延いては世界の主要都市の比較研究が欠かせない課題となろう。
欧州的都市感覚では御しきれない江戸東京ではある。非連続の中の連続、継続の中の断絶、意識の上での主導原理の変化に惑わされず一つ一つを実証的に見据えて歴史の流れの実態を掴むことこそが肝要であろう。
ヨーロッパ都市=「物」とアジア都市=パフォーマンス空間、都市研究における3つの軸=時間・空間・生活文化、時間(変化こそ進歩か・現時代の物を建て古い物は保存する西欧と古い物を似せて建てる日本)・空間(都市比較・都市と農村・都市計画と交流・環境)と生活文化(フォーマルとインフォーマル・立て前と本音・支配と庶民)、黴菌の居ない町と農村集約的都市空間、歌舞伎の海外演目(美しさの舞踊・藤娘と普遍的人間ドラマの俊寛)、江戸東京学への学際的アプローチと共同研究、庶民レベルでの江戸東京連続性(兎と亀の物語りと修身)と皇国史観と教育の断絶、庶民の結婚観(いつでも帰って来い)と下級武士の儒教的結婚観、日本と世界の女権(オリエントのパブリックは男・プライベートは女、中国四合院建築の前は男・後ろは女、日本の職住一体の町屋と女の外への関わり)、江戸サロンとコミニュティの都市性の高さ、中国茶館と江戸の茶屋とコミニュティ、公式の場と芝居茶屋における大名と庶民、など。