第91回
(話題)  都市と美術館と絵画−パリ・ロンドンと日本−
(要旨)
専攻の絵画美術史・芸術文化史にとどまらず歴史と美術のはざまに視線を当て未来へ向けての提言を行ってきたが、三題噺・「都市と美術館と絵画」も、その一環の話題として取り上げさせてもらった。小さな町に豪華な美術館が続出しているのを見るにつけ、あらためて、日本の都市構造における美術館とそのあり方・役割、美術品に対する思想と関係する諸システム、美術品のディスプレーの仕方などについて提言するべきではないかと考えたのは、日本の美術館は美術館としてうまく機能していないように思えるからである。歴史的にみても、パリ・ロンドンなどのギャラリーの生い立ちやその後の変貌とは異なっているが、ディスプレーひとつにしても、西欧では例えば“各美術館のディスプレーの仕方をディスプレーする企画”などがあり、日本より数段に進んでいるのである。
日本の“美術品”は“神々と王の荘厳の飾り”であった。それは、権力者が他者とは違うことを示す色と形(禁色や紋章など)で形作られたものであった。一方では神仏を拝む基点としての灯籠があった。鑑賞の視点からいえば、宗教では“絵解き”から始まった。平安時代の絵解きは皇室や貴族への高僧によるものであったが、鎌倉時代には芸能化が進み、僧は下級の絵解き僧、聞き手も巷間の一般人に下がり、室町時代末以降は至る所で視聴できる宗教的芸能となった。現在でも、絵巻を用いる数少ない例として「道成寺縁起」(和歌山県・道成寺)の絵解きが行われているが、布教活動から視点を変えた鑑賞へと変化していったのである。ディスプレーの面から見ると、室町時代成立の「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」は、中国伝来の絵画・工芸品の鑑定評価と座敷飾の構成について集大成しており、“餝次第(かざりしだい)”の項には配置の諸方式を図入りで説いている。この時代に美術品の収集がなされ、鑑賞が、しかも吟味された展示方法で行われていたことが分かるが、それ以前の北條氏なども中国の美術品を収集している。それは中国ではマイナーな品であっても文化的に特選されたものの収集であり、時代はずれているものの英仏がオリエンタルなものを求めた気持ちと似ていると言えよう。しかし、収集は個人的趣味から行われ、鑑賞は将軍家など接待用に限られていた。つまり鑑賞は、茶道や華道と同じように、空間的なパフォーマンスであり、限定されたものであった。この影を時代が下がっての書画会や出開帳、更には内国博覧会や帝室博物館が引きずっているように思える。
ところで、日本美術品にはすばらしいものが沢山あるが、残念ながら、すべて西洋建築の館に展示され、かつ世界に誇る木版画や絵巻物などガラスを隔てて鑑賞するよう空間設定されている。木版画は手に持って鑑賞するものであり、屏風の鑑賞にはそれをしつらえる空間が必要なのである。破損や汚れを危惧するなら、ここでこそ複製技術と量産技術を存分に活用して貰いたいのである。また、先日東京で開催された“パリ印象派展”は美術専門誌の掲載・解説とは程遠く、主題を鮮明に見せる展示がなされていなかった。欧米では主題は明瞭で、光と影・背景の色や展示台の形・作品の配置など十分に考慮されて展示される。パリやロンドンでも初期は壁面全体に飾り付ける展示から始まったのだが、この差は、ルーブル美術館のように作品を保存・管理し、修理しかつ研究する人が、みずから主題について展示する体勢ができているか、いないかの差であろう。。また、日本では団体は30人以上として入場割引しているが、ルーブルでは逆に30人以下に制限している。美術館の持つ教育の役目からも、入場者に説明をし理解して貰うのは30人が限度とするのが制限の理由であり、ここに端的に美術館に対する意識の彼我の違いが見られる。
西欧でも王の宮殿での収集・鑑賞からグランドギャラリー、サロンへと形成されていったが、何よりも国家の政策や都市構造の中で美術館構想がなされている点が異なるのである。たとえば遺産相続の際の税金の代わりにピカソなどの絵で物納する、国が物納美術品を他の美術館の所有(ピカソ)作品と交換する、由緒ある古い建物が国の手に入ったとき文化省は内部を改造しピカソ美術館とするなどである。オルセーもパリ万博時の駅舎を国家政策で美術館に改造したもので、観客の誘導も“降りる駅から美術館”というふうな導入部にふさわしい工夫がされている。地方の美術館は作家に関係の深い土地に設置されている場合が多い。
日本の美術館では、購入した作品は見せない、外へ流れないと言われるが、せめて東京の美術館同士が提携し、知恵を出し合えないものであろうか。
日本の政治権力と美術館、西欧の美術に親しむ風土と日本の実態、庭園美術館と民家園・小金井江戸村と生きている空間、レプリカの見世物感覚と本物のステイタス感覚と展示の方法、陶板焼付レプリカと本物の差、床の間に飾り付けとその空間、王城の中の展示・城の機能とディスプレーの機能、学問的成果を伴った展示と業者の展示、外光と日本美術品、墨田区・江戸川区の小さな博物館群と地方美術館の今後の方向、パリ・ロンドンの“都市としての美しくする運動”と都市環境、キュレーターの組織と権力、日本の古物商とクリスティの調査・評価部門、美術館のもつ幼児教育・社会教育の役割、など。