第88回
(話題)  北京と東京の比較都市論−歴史的空間構造と近代化のメカニズム−
(要旨)
北京を対象としたのは、1.四合院住宅などの研究はあるが、都市空間として取り上げ伝統的空間と近代形成の歴史を追究したものは少ないこと、2.江戸東京研究の切絵図・参謀本部地図に比肩するように北京には乾隆(けんりゅう)京城全図(1750年)・近代の地図(1927年北京図)があり、都市計画の意図や現姿の状況と重ね合わせて連続的に考察できること、3.北京清華大学建築学院の朱教授などと協同で現地調査・実測する態勢が整い、かつ住総研から助成を得られたことなどによる。この東アジアを代表する2つの首都の違いと共通性を探り、歴史的空間構造と近代化のメカニズムを明らかにするのが狙いである。
北京は“金”代(12世紀・現在の広安門を中心とした1辺約5km方形の国都)に古い核があったが、“元”代(世祖フビライ・13世紀)にはその東北に計画的に新都城を経営して都(大都)と定め、名実とも全中国を支配する政治の中心となった。元を滅ぼした“明”は一時首都を南京に替えたが、15世紀にここを国都と定めて北京と称し、大規模な宮城(紫禁城)を造営し旧城外南部に外城を増築して、南北にやや長い方形の内・外城合わせて約62km2におよぶ大都市となった。これが現在の北京の基礎となっている。明に代わって満州族の“清”がここを都と定めたとき、内城はもっぱら満族とその家族の居住地とされ、被征服者の漢人は外城に強制移住させられたが、それにより外城は急速に発展していった。
このように、北京は元の大都をおおもとに明代に整えられたものであり、外城・内城・皇城・宮城の正門を貫く南北線を軸として対称的に設計されているのが特徴である。この地が地形的に平坦なところから、北京は各城域毎を高い城壁・門で囲み防御の体制をとるのに対して、江戸が外堀・内堀、外郭・内郭、見付・門などで空間を仕切り水濠・緑で城を包む形で随分異なるが、両者とも現在より遥に巧みに、水運を利用していたようである。さらに、北京の風水説に基づいて設けられた天壇・日壇などの象徴・祭礼・宗教空間は江戸には無く、逆に江戸のような寺町は北京では目立たないが、都市の真ん中の城があって政治行政機構や貴人住居を中にして、回りに寺や商工業庶民住居が配置されるところが江戸と似ており、かつ計画的な面と不規則な面とが混在する都市構造をもつ点も似ている。また、紫禁城の南側が行政部で北側が皇帝の居住域の形は、江戸城の本丸と大奥の形と同じであり、内城の閑静な専用住宅地は江戸東京の山の手、外城の商業・文化・遊興・行楽空間は下町・盛り場・名所に対比されよう。共に住と商・遊を分け、「屋敷を構える」「店を構える」意識と似ているものの、北京には江戸における下町、日本橋がもつ重要な役割は見られない。
住宅地の空間構成を見ると、中庭(院子)と倒座・正房などを基本ユニットとする四合院住宅の構成原理があらゆる建築に共通しているのが判る。基本的な中心軸上に、大規模な住宅でもそのユニットの繰り返しで空間構成されており、日本建築とは異質のものと言える。四合院が境界塀に密着し建物を配置して中に庭を置き、従って町並みは壁と門が連なり恰も旗本・大名屋敷地区に似る。「王府」(大名屋敷にあたる)も同様の四合院建築であり脇に独立して庭を造るが、大名屋敷は門・入口を振って軸線がなく、主建物の周囲に庭を置いて住居と庭が融合しておるところが異なるが、両者とも接客空間、私的空間を分けているところは相似している。内城には倉庫群(物流センター)もあり運河で結ばれていた。
商業・工業・遊興は外城が中心で、商業は南北の道路が軸となって展開している。しかし日本橋のように格式が高くプライドのもった所はない。漢民が追われて住み着いた歴史だけにアウトローの感じがあり、無店舗移動商人あるいは仮設店舗が多くて、終戦直後の東京を見る思いの、活気溢れる外城ではある。店舗建築では前面を店舗にし住みながら営業している店が多く日本の町屋に似ているが、あらゆる商業建築に中庭(アトリウム化したのもある)を取り込んでいる。ここでも中庭がキーワードであるが、建築は大架構とせずに奥行の浅い小架構を連ねていく中国的特徴をもって増改築していき、内部は変わらぬものの店舗の外観は洋風化が進んでいわゆる看板建築の様相を示しているのが目につく。
また江戸の集会所にあたる同業会館や同郷会館は、中に宿泊・宴会場・劇場などの施設を備えて、情報交換・文化交流の場になっている。その他、旅館や遊郭(妓館)料亭や寺廟など、江戸の深川・浅草などの名所・行楽地にあたる場があるが、外観はともかくやはり基本的に四合院の形式で空間構成されている。
北京の近代化は江戸の外国人居留地のように紫禁城の膝元に大使館街ができたことがあるものの、歴史地区に大規模な計画的開発がなされたことは無い。もっとも解放後に天安門広場の開発・城壁の撤去・街路の拡幅などされているが、江戸大名屋敷の開発と似た王府の開発や倉庫の跡地利用など個々に展開されているのみである。また東京の場合が中心部に高層ビルが林立していったが、北京は中心部の歴史地区はそのままに、ヨーロッパの都市のように外へ拡大していっているのが特徴と言えよう。
四合院形式の起源と範囲、ユーラシァ大陸共通の中庭と四合院住宅と日本の住まい、北京とヨーロッパの住み分けの意識、権力都市と地方都市(北京は中国の都市の典型か)、解放後の城壁撤去と四合院とソ連式住宅、塀造りから始まる建設と中庭の排水、アジア式都市(大人口とはっきりしない行政)のあり方とヨーロッパ式都市(小人口とはっきりした行政)のあり方の差異、江戸と北京の人口など、歴史地区の現状と今後、など。