第86回
(話題)  メディアとしての絵はがき
(要旨)
絵はがきというと、旅先から安否を知らせ挨拶を送る“風景郵便”くらいに思っていたが、喜多川周之氏とそのコレクションとの出会は驚きと発見の衝撃の場であった。それは陳腐な風景の伝達者どころか、災害の惨状を実写した“報道”であり、事件の“覗き見”の感覚を持つ画面であり、絵はがきという形式を借りた、フォーカスやフライデーなど今日の写真雑誌に繋がる眼差しを持つものであった。
絵はがきは、郵便制度・印刷技術・写真文化の3要素の交わるところに誕生した。世界のモデルであった英の郵便制度に、1869年オーストリア=ハンガリーが官製はがきシステムを加え、翌年ドイツが私製はがきを誕生させた。日本では郵便はがき制度導入から27年経た1900年(明治33年10月1日)に私製はがきが許可されており、“近世少年”の付録がその嚆矢(こうし)とされている。尤も1877年(明治10年)に万国郵便連合条約に加入しており、すでに国際的な「紙の道」は開かれていたといえる。
絵はがきは形態から、1.仕掛け、2.記念、3.美人、4.事件、5.風景絵はがきに分類されよう。「仕掛け絵はがき」は、“透かし絵”など複製技術以前の一ひねりした視覚遊びといったものだが、直接に絵はがきブームを興したのは「記念絵はがき」で、特に日露戦争のそれは熱狂的流行を呼んだ。ナショナリズムの昂揚・戦捷祝いの投影が見えるが、そこに、価値を生みだす希少性(記念・日付)と流行を生みだすに足る大量性(印刷複製)の双方の要素があったからである。第3回戦役記念(官製)は3枚組5種類で67万組発行されたが、この大量性あってこそ人々の共通の話題となり得たのであり、コレクションを楽しみ、珍な絵はがきの収集マニアが現れ、実用を離れて文学・美術に結び付いた鑑賞作品となっていくのである。つまり趣味という領域の確立であり“用件のない郵便”の成立である。また、日露戦争での軍事郵便制度は、便りを書く習慣のなかった庶民層に新しい経験を付け加えた。戦地へ赴くことは一つの旅の機会と言えるが、そこには、他見をはばからない私信、ただただ無事を知らせるもう一つの“用件のない郵便”があった。
戦地へは芸者がモデルの「美人絵はがき」が盛んに送られた。これは大正中期以降、映画女優の台頭につれブロマイドへと展開され、スター誕生の有力な役を担う。木版の美人錦絵は“似顔絵”を出なかったが、新技術である石版画は“ほんとらしさ”を民衆に送り、コロタイプ印刷(明治22年導入)は良質の肖像の量産を可能として、写真絵はがき生産の基礎を固めた。そして、この美人の“写真”の力に加えて、規格品のカードであり、誰憚ることなく美人を集め見つめ得る解放性がコレクションの欲望と結び付く。
「事件絵はがき」はニュース・際物・時事写真という視覚である。軽便な写真機の普及、つまりカメラの“私”化の一定段階が生み出したものとも言える。関東大震災の写し手は営業写真館、アマチュア・カメラマン、ジャーナリストと多様であり、多種類の絵はがきが発行されて、救護に上京した者たちの好奇心を満たす土産物となった。事件絵はがきの“写真”はこうした珍奇な実景を求める心性を媒介したのであるが、新聞写真の印刷技術の進歩と取材・原稿・輸送体制のシステム化の過程において次第に過去のものとなっていく。また、たしかに事件絵はがきは視覚優位のリアリティの構成に大きな役割を果たすが、一方ではリアリティを増すための修正や「やらせ」が問題であり、逆焼付やネガの別事件への流用もあった。アメリカでは絵はがきとリアルな映像の結び付きを逆手にとった Tall-tale postcard(トリック写真絵はがき)の分野が生まれた。
「風景(名所)絵はがき」が絵はがきの概念の中心に据わったのは、1.鉄道の発達が旅を大衆のものとし観光地を形作った。2.地方に写真館が定着し絵はがき作成の態勢が整った。3.に筆記具の進化があり、4.にカメラとの関係がある。そして、自分たちだけの記念写真が手軽に可能になったとき、記憶の媒体として買う契機がなくなり、便りの媒体の側面のみが残るようになっていく。
大衆社会と複製技術に支えられた絵はがきは色彩の解放を予言する小さな実験場であった。柳田国男は“朝顔の予言”で禁色を破る力を朝顔の園芸文化に見たが、絵はがきはその複製芸術版ともいえよう。それは、デパートの豪華ポスター文化へと展開していく基礎を築き色彩が近代複製文化に花開くときを予言していた。そしてまた、事件の臨場感と野次馬の視覚を刺激すると同時に、話題になっては忘れさる流行のサイクル、いわば“視覚による消費”時代の幕開けを予言していた。絵はがきは一枚刷りの紙資料であり扱いにくく、発行・書込み・図柄・使用日時などの解明はもとより、データ化の方法も確立されていない。忘れられたメディアの発掘は始まったばかりなのである。
絵はがき購入層と動機(存在証明・メモリー・コレクション・実用)。役者絵と美人絵はがきと写真。戦争・惨事・死体と「記念」の感覚。柳田国男のポートレート絵はがき。広告媒体(工事年鑑など)としての絵はがき。暴動焼打ち事件の透かし絵はがきの作成意図と購う人。明治のフォーカスと現代のフォーカス。事件の瞬間を歌舞伎的に描く新聞錦絵と事後を実写した写真絵はがき。錦絵と絵はがきの大きさ、一組の枚数と技術的制約など。