第85回
(話題)  都市空間とセクシュアリティ
(要旨)
都市空間とセクシュアリティを考えるとき、歓楽街とかモニュメンタルな建物とかのアウトサイドからの研究に比べて、人間の住まいの仕方・その空間の変容というインサイドからの関心が薄かったように思う。江戸とセクシュアリティでは、江戸春画などの少ない限られた資料から、それは都市空間の中でのブルジョワジイ(ブルジョワ文化の担い手たち)階級の規範としてとらえられ、常民との階級的な差異は問題にされなかった。
井原西鶴の「好色一代男」では、「光源氏」に見る恋の遍歴とは程遠く、財力は伴うが、性愛行為を質でなく数でカウントし同時に日記に記録しており、累積・比較計量が可能なものとされている。つまり、ここでは性の商品化が見られる。
江戸吉原の作法は、平安期の妻問い婚・好き者・色好みの模倣であり、パロディ化したものである。セクシュアリティを体現するものとして遊女が理想化され、色の道が規範化されて、「粋」と「野暮」など、どのように振る舞うべきかコード化されていくのである。遊女は専門家・特殊集団であり、買うことが出来た人に限られた美学があり、かつ序列があった。商品化された48手など性愛技法は、やがて性科学にとって変わられるが、金を媒介とするセクシャリティは技能として継承されていった。
当時、地女と男の間には技巧的セックス行為はなかった。性的飢餓状態にない者が金で買いに行く、金で買える女たちの方が地女とは異なる技能集団であり、性行為のみでなく遊里がもつ交際の場、知識や話題・情報を得る場としても価値をもったのである。江戸は男性単身者が多い不均衡な人口構成をもつ都市であったが、人口の8割を占めた民百姓は購買能力を持たず、この世界で一番からかわれたのは、いわゆる田舎侍・田舎者であった。性の商品化は性の階層化を生むことでもあった。
セクシュアリティの記録は少ない。大体セクシュアリティは「ウラ文化」であり、存在そのものを否定し、私生活の歴史である文書を残さないのである。民俗学でも長い間タブー視されてきており、柳田民俗学でも婚姻風俗までは容認されるが、性行動は天皇制と並んで扱うべからざるものであった。文書がないのは研究対象にならない。地方史家による例えば「津軽艶笑潭(つがるえんしょうたん)」などのドキュメントはあるものの、まともな研究の対象とされていなかった。
都市ブルジョワジイ以外の常民・民百姓のセクシュアリティは「夜這い」として現れている。赤松、野口両氏の研究では1950年代でも常民習俗として夜這いがまだ存在していたとしているが、この夜這いの行われる場所とはどんな空間であったか。農村では村の有力者が宿主となって若者宿・娘宿を設け、若者が娘宿を訪れる風習もあったが、娘宿は早くに消滅し、娘は家に入っている。田の字型の平面を典型とする農家は、座敷に家長夫婦、それ以外は寝間に雑魚寝であった。村の誰もが部屋割を知っており真っ暗闇でも行けたのであるが、訪問者は家長の枕元を通り忍んで行くのであり、そこにはプライバシイなどはなかった。若者は雑魚寝の部屋に娘を訪れ、やがてステディな関係となった時に、見て見ぬ振りを止め、“ところあらわし”をするのである。
このような状態では性愛技法が問題となることはあり得ない。男性上位・前戯無し・正常位の簡素なセックスであり、常民の世界では愛の技には発達し得なかったのである。それらは貨幣経済の村への浸透とともに崩れて行くのであるが、地女と商品化されたセックスとの間には深い断絶がある。また、駆落ちは人の道に反するが夜這いは正常という意識があった。夜這いは乱交ではない。そもそもが村内婚の枠があり、自由恋愛の場のようであるが厳しい規制があり、村の若者集団により管理されていた。この若者組の構成員には庄屋や子守・奉公人は含まれず、つまり、婚姻可能な階層の、婚姻のための規制であり習慣であった。子守・奉公人は性の搾取の対象だったのである。ここでも階級差があった。
さて、昭和初期からの都市型住宅は低層・高層を問わず、基本的にnLDKの間取りを踏襲しており、セックスの場は夫婦寝室であると認識されてきている。しかし、そのnは家族メンバーマイナス1のnであり、主婦の個室空間はなく、コモン・スペースが主婦の空間であった。主婦はどの部屋にも入れるから個室は不要との認識であったろう。しかし現実に家族の分離が進むと、個室は外に向かって開く一方、内には閉じられ、コモン・スペースは閉じたデッド・スペースとなり、主婦のいる場所が無くなっていった。つまりnLDKの中でセクシュアリティの占める空間が姿を消していく傾向が強まっていく。そんなポスト・モダン・ファミリーのために隈研吾・山本理顕がたどり着いた住宅空間の設計(n+1)LDKは熊本などに実現されている。そこではセクシュアリティは内部空間から放逐されており、その一方で性が特化したスペース、例えばラブホテルなどが出現することになるのである。
中世の浮かれ女・吉原の散茶など低級娼婦と常民のセクシュアリティ。枕屏風などで隔離された空間とプライバシイ及びプライバシイの核心はセックスか?。夜這いを知る農村出の江戸住民と川柳などに見る常民のセックスと娯楽としての性。寝食分離・性別分離を具体化した2DK住宅の功罪とセクシュアリティ。ポストモダンの住宅からセクシュアリティが消えていく方向と個々の住宅のラブホテル化ーラブホテルの住宅化。夫婦寝室など空間規範と一致しない使われ方と夫婦別室住宅空間におけるセクシュアリティのミニマム化。nLDKから近代モデル(n+1)LDKへのドラマスティックな変貌。武士・長屋など江戸のセクシュアリティの分析の方法について、など。