第83回
(話題)  東京都政の50年
(要旨)
本年は1943年(昭和18年)に都政が発足して満50年に当たり4選の鈴木知事の任期も最終段階に近いところから、「都政50年史」の編纂が計画された。実は10年史・20年史は刊行されているが、美濃部都政の30年史は印刷寸前で廃棄され日の目を見なかった経緯があり、50年史編纂にそれをどう取り込むかが注目されたが、結局“都の事業は継続している”との視点から年史は事業を中心に、また通史は知事中心に書く方針で発刊準備が進められている。
“都政”の導入は基本的に“府と市の一体化”であった。空襲が予想されていた当時、防空や疎開などに対処する行政の簡素化を狙った一体化は、いわば戦時体制のためのものであり都長官は官選であった。終戦後の混乱を経て、1947年(昭和22年)4月初めて知事の公選が実施され、知事選には安井誠一郎(最後の都長官)が田川大吉郎(都市問題専門家)を退けて当選、都長官は都知事に改称された。以後、安井は3期、12年間知事の座にあった。その間の課題は都民の生活(衣食住)と治安であり、戦災復興事業がキーワードとなろうが、福祉を根付かせた知事として評価されてよい。経済面では朝鮮戦争特需があり神武景気が始まっている。
第4回・第5回の知事選挙は東竜太郎が勝利するが、東京オリンピックの開催とその評価が争点となった五輪知事といえよう。経済は高度成長期に入り、五輪優先の巨大な投資が実施されている。第5回知事選では、利権汚職の追放が争点となって都議会が多党化していく中で、公明党60万票が東支持に回ったのが当選の鍵となった。しかし、五輪優先のための歪みは、地価高騰・給水制限・スモッグ公害などをもたらしている。
安井・東の両知事20年間の都政には、特捜部による大掛かりな汚職摘発が2回あり、河川の埋立・認許可・都有地・外郭団体など伏魔殿都政と評されるほど、都の事業と利権が結び付く体質をもっていたと言えよう。また選挙では、国レベルの、例えば戦後復興、講和条約、平和都市建設(核問題)などが争点となったという特徴が見られる。
東京都の人口が急増する中で、第6回知事選は公明党が独自候補を擁したこともあって、社会・共産推薦の美濃部亮吉が松下正寿を僅か13万6千票余の差で破り当選した。美濃部が都民本位の都政を掲げ、松下が都と国の関係をうたって、話題となった選挙戦であったが、都政50年の知事選の中で最も得票差が少ない激戦であった。
次の第7回知事選は、逆に最も得票差の開いた結果で美濃部が再選されるが、この選挙は、「都政問題が争いの焦点」となった初めての選挙といえる。つまり、美濃部の“広場と青空の東京構想”に対する、秦野章の“4兆円ビジョシ・東京の大規模改造”の戦いでもあった。そして、美濃部は第8回知事選にも勝利し、3期12年間在職するが、前半は光輝と話題に満ちた時代であったのに対し、後半は財政の赤字を抱えての惨憺たる幕切れに終わるのである。美濃部は、都民参加の都市計画の策定・公開と都政の点検、具体的数値目標の設定と財源処置、都民を公害から防衛する計画など、シビル・ミニマムの考えで全国自治体の先端をきって画期的な方策をたてており、具体的には無認可保育の補助・老人医療の無料化などの福祉、東京電力・東京ガスとの公害防止協定などの公害対策、あるいは朝鮮大学認可などを実施するのであるが、71年のニクソンショック・73年の第1次石油ショックなどによる不況の到来は、事業所税に頼る都政を直撃し、財政面から破綻させていくのである。美濃部都政は、ばらまき福祉行政、ゴミ戦争、都職員のラスパイレス指数の高さなど批判されているが、財政には前都政からの問題点もあり、都民のための都政を推進した点・特捜が入らなかった点では評価されてよかろう。
第9回知事選は“マイタウン東京構想”というソフト・イメージで戦った鈴木俊一が太田薫を退けて当選した。以降、今日まで鈴木は4選を果たし、経済が安定成長から内需拡大・好景気継続という背景のもと、財政再建をすすめ、東京都長期計画(世界都市への転換)の発表などをしている。しかし、例えば公害で美濃部は煙突の煙・鈴木は自動車排気と対象は異なるものの、美濃部の企画のあとを追ったものが多い。もっとも都庁移転など話題になった施策もあるが、根本的に違うのは“批判なき都政”といわれるその姿勢であろう。いまや東京一極集中・地価騰貴はますます進み、バブル崩壊・円高不況の襲来は、鈴木都政の目玉である臨海部開発事業を都財政の重荷に変えているのである。
“区”の英語表示の変更(WardからCityへ)と23区の自治権拡張運動、国と都の関係(財政的に独立)と都と23区との関係(人事権など)、美濃部都政の評価(左翼からの批判と対話集会など理想主義的施策への疑問)、美濃部・鈴木両都政の弱点である地震・防災計画、両都政の姿勢と手法の違い(都民は主人説と都民はパートナー説、1万人集会と審議会の多用)とその手法の国の利用(三全総計画への住民参加)、美濃部から鈴木へ引き継がれたもの(高齢者・障害者・女性問題など)と引き継がれないもの(公害・環境アセスなどの考え方)、シビル・ミニマムと生活レベルの捉え方、鈴木都政の国・経済界に挟まれての舵取と都民の守りからグランドデザイナーへの変身、など。