第64回
(話題)  読売から新聞まで
GERALD GROEMER(東京芸術大学音楽部)
(要旨)
読売(瓦版)から明治近代新聞への発展経過は、その未熟な点を払拭し客観的かつ正確なニュースとなして近代的マスメディアへ、と直線的な進歩としてとらえられている。確かに読売は客観的内容と批判の的となった主観的芸術的内容が共存しており、20世紀の物差しでみれば正確性が乏しく文学的にも下級なものであろう。しかし江戸大衆文化の読売を理解するには、この物差し・価値観を留保する必要がある。
読売は、江戸では馬喰町の吉田屋小吉をはじめ書肆としては三流の読売(瓦版)出版業者により流布された。吉田屋は「やんれ口説節」だけでも96題も扱った大手であるが岩見銀山鼠捕薬を売る香具師の一類であり、ユスリまがいの行為で読売購入を強制したりしたことでもその格が分かる。
読売は今日の新聞のように客観的で透明簡潔なニュースの伝達を目指してはいなかった。江戸庶民は自分の生活に関係のない事実には関心をもたなかったのであり、自由な解釈と表現で事実の「意味」を伝えることにより初めて人々の興味をひいたのである。しかも読売はパフォーマンスをもって伝えられた。三味線の伴奏で浄瑠璃・はやり唄・語り物などにのせ事実もフィクションのようにフィクションも事実のように演奏し、庶民は内容よりも三味線のよさ・格好のよさ・唄声のよさにひかれ、地方まで流布されていった。
明治になって読売が消滅していくのは直接には新聞などのマスメディアの拡大にあるが、科学・芸術・道徳の次元での3者分裂現象は見逃せない。近代産業の成立のために必要な十分で正確な情報をいち早く提供したのは新聞・逓信制度であるが、個別情報だけでは物足りない庶民の満足感との空隙を埋めたのが独立した現代的意味の文学であり、様々な道徳・イデオロギーに基づく社説・報道解説であり、プロパガンタ誌であった。
この3者分裂のプロセスは江戸から明治へ早いペースで進み今もなお続いている。江戸庶民は読売に対して懐疑的でパフォーマンスを楽しみながらその内容をそのままには信じていなかったのに比し、いかにも冷静に客観的装いを凝らした現代のニュースには、その背後に多くのイデオロギーの要素が働いていることを殆ど感ずることができない。読売のパフォーマンス同様、誰かにより作られたものであることに気づいていないのである。
読売は消滅したが、その役割は客観的な情報提供機関の成長、主観的な面を操作している娯楽産業など分業の形を取って続けられているのである。また社会が根本的に変わらない限り客観的・主観的の次元の分裂状態を正すことはできないが、それが正に分裂であることも忘れてはなるまい。江戸時代の読売がそれを教えてくれるのである。
口誦文芸と口説の中の共同幻想、江戸と現代の変化のテンポ、全国版と地方版・地方性の有無、加賀藩における読売の実態、読売の速報の程度、売れた場所、文学禁制と口誦文芸、湾岸戦争の実像と虚像。
グローマー氏は、在日僅か7年、東京芸大音楽部に籍をおく異色の話題提供者であった。「読売から新聞まで」という興味深い発表は主題以外にも多面的な論議を喚び長時間の熱心な討議の中に幕を閉じた。