第61回
(話題)  「よ組」を中心とした江戸火消しの活動
(要旨)
「火事と喧嘩は江戸の華」は、町火消に典型的に表現された江戸っ子の気っぷのよさを表現する言葉であるが、桶町火事・明暦大火を機に生まれた大名火消・定火消の制度にくらべて、1万名近くの火消しを擁して町火消が江戸消防の花形になったのは、はるかに下がって18世紀後半のことであった。記録に残る江戸の大火177件の多くは神田・麹町の町屋を中心としたものであり、ここを縄張りとした「よ組」は富商の庇護のもと、最大の陣容を誇り、その華やかな活動と生活は、当時の歌舞伎の外題にとりあげられ、独特の都市文化を形成して行った。その経過を追及すると同時に、風呂屋・花火・ごみ焼却等についての「触れ書」をさぐれば、都市の姿はよりはっきり浮き彫りにされるであろう。
しかし一方、火災が江戸の経済成長を支える大きな要因であったことは否定できぬにしても当時の市民が火災を人災としてではなく天災とうけとめていた節があること、火除地・道路拡幅の防火対策はあったにしてもロンドンの様に大火を機にして不燃都市へ脱皮しえなかった江戸の構造解明など、さらなる研究が期待される。
出火原因としての放火の比率、市民の予防活動、定火消(国家消防)・大名火消(企業消防)・町火消(地方自治体消防)の性格等について熱心な討論が交わされた。