第179回/第5回「東京の地域学を掘り起こす」シリーズフォーラム
(話題)  幻の日本万国博覧会−月島の地域学−
(要旨)
中央区タイムドーム明石と共催し、同館のプラネタリウムで開催した。
「1940年に開催予定だった日本初の万国博覧会は、会場プランが決まり、勝鬨橋が架けられ、入場券まで販売されていたが中止となった。予定地であった月島を地域史の側から眺め直していく」と吉見俊哉委員が企画趣旨を述べた。
まず、増山一成氏は制作した「幻の万国博覧会−月島4号地の万博計画とその背景−」を上映した。そして、日本は幕末に海外の万博に刺激され、その後どのようにして1940年開催に取り組んだのかを、月島の埋立史と土地利用に関連させながら発表をした。
次に、伊東孝氏は重要文化財になった(2007年)勝鬨橋の諸元、架橋経緯、工期についての説明があった。1935年頃、ウォーターフロントには、(1)東京市庁舎計画、(2)万国博覧会会場、(3)オリンピック競技場、(4)飛行場に4大計画があった。万博やオリンピックを開催していたら、日本の近代都市計画が世界に認知されていたであろうと結んだ。
続いて、陣内秀信委員から1935年には、月島埋立は10号まであり、建築デザインや橋梁デザインは素晴らしいものがあった。しかし、その後、日本人は都市にビジョンを描けなくなった時期もあったが、いままた都市への関心が高まっているとコメントをした。
討論は、(1)博覧会の系譜、(2)万博とオリンピック同時開催は日本の野望であったこと、(3)1940年が、万博からオリンピックへ隆盛の比重が移っていく転換点、(4)1940年のウォーターフロント計画は断裂・放置ののち、いま、議論が再燃、(5)ウォーターフロント計画の頓挫後、計画や開発は西部に移行、(6)プランナーは1940年以降は朝鮮や満州が活躍の地、(7)埋立は技術的に可能なところから始まり、埋立順にナンバリング、(8)月島が東京のヴェニスにならなかったのは、行政が埋立地を工業地域や港湾地域と決めたあとは、入手した企業の自由にしてよかったから、(9)2016年の東京オリンピックは1940年の計画を振り返り、地域の展開を踏まえた構想を期待する、(10)オリンピック施設と軍事施設との関係、等々多岐にわたった。
最後に、勝鬨橋は幻の万博のメインゲートであった。2016年に東京オリンピックが実現するなら、そのときには勝鬨橋を開けようで締めくくった。