第161回
(話題)  都市への記憶:「満州国」建築へのまなざし
(要旨)
講師は中国長春で5か月間にわたって、「偽皇宮博物館」で博物館専属のガイドとして働きつつ、フィールドワークも進めていた。そのフィールドノートからの発表である。
かつての「満州国新京」は長春になった。近年、中国の開放政策のもと、さらには冷戦の終結により、長春を訪れる日本人は年々増加の傾向にある。このかつての首都はまさに、消滅した帝国の遺物という考古学的発見であり、同時にリアルタイムの「満州国」テーマパークとなっている。しばしば「帝冠式」と称されるかつての官庁街の建物は解放後、中国共産党の官庁街となり、「ラストエンペラー」溥儀のかつての皇宮は偽皇宮博物館となっている。また、関東軍司令部の純日本風の建物は、現在では吉林省共産党がその権力を誇示する場となっている。これらが中国人観光客と日本人観光客の観光のメインスポットである。
戦後、日本人は帝国主義的過去との対峙を避けてきたため、長春は「本物」の歴史さがしの場を提供している。満州国の実態を知っている多くの日本人は、都市空間になじみを感じながらも、「満州国」消滅という精神的な抑圧によって見知らぬものと認知してしまう。更に、そこには侵略戦争をしかけた日本人に対する中国人の視線が注がれる。
中国人にとっての長春は、抗日に対する共産党の正当性はあるが、それを明確にするのはペンドラの箱をあけるようなものである。自国の戦後の物語自体を揺すぶるものにつながりかねない。
両者は互いのプロジェクターがそれぞれに放つ光に怯えいらだっている。長春の都市空間は戦後世代の不安が交錯する空間と言えるのではないか。
という人類学・社会学の視点に建築史・都市史の視点が加えられた。1つは、建物というのは目的があってつくられるということ。もう1つは、中国では建物を使っていくために保存するというのが保存の概念であることが付け加えられた。
人類学・社会学からみえる風景と、建築史・都市史からみえる風景の違いは何なのかを明らかにして、これから対話を始めたいと司会者は締めくくった。