第138回
(話題)  地域雑誌からみた町
(企画趣旨と要旨)
森まゆみ委員の企画による市民公開フォーラムである。趣旨は次の通りである。
銀座、上野、浅草など盛り場にはかなり前から、のれん会や商店街が無料で配る、いわゆる「タウン誌」があった。一方、この15年ほどの間に、住民の住民による住民のための自主的地域雑誌が続々と発刊されている。
それらは、町の歴史を掘り起こして記録し、町の問題をみんなで考えるための広場となり、イベントや町づくりにも積極果敢にかかわっている。元気な「町の雑誌」の主宰者が集まって、町の特性、出版の動機と経緯、苦労話、解明されてきた町、コミュニティの変化について語り合い、各地域雑誌名がめざす地域学の方向を引出す在野から発信する。
講師の立壁正子氏は、「我がまちのおもしろさに支えられて」と題して、次のように講演された。
「ここは牛込、神楽坂」を仲間たちの協力のもとに始めたのはバブルがはじけた1994年のことである。自分のまちが刻々と変化していくのを見て、ここらでまちに目を向け、まちからの発信を行っていこうと思い立ち、長年携わってきた広告の仕事をやめた。
神楽坂を改めて見直すと、情報の、歴史の、人の宝庫だった。こういうことを取り上げようと、何かのテーマに取り組むと、考えていたことの数倍もの情報が集まってくる。書物や資料からはもちろん、まちの人々や、かつて神楽坂にいたまちのOBの人たちからも思わぬ情報がもたらされる。そんなことに支えられ、雑誌づくりを続けてきた。5年目の今夏は、神楽坂を舞台に「まちに飛びだした美術館」という催しを成功させた。
創刊から今日までの歩み、まちの移りかわり、催しの顛末などが語られた。
野口由紀子氏からは「東京の田舎の日曜日」と題して、次の話題が提供された。
JR中央線で東京を西へ下ると、街から郊外へ移っていく。車窓から空がよく見えるようになると、電車のドアが開くたびに空気の温度が変わっていくのがわかる。地域雑誌「武蔵野から」が扱うのは、そんな地域である。かつて、「武蔵野」(国木田独歩)や「武蔵野インディアン」(三浦朱門)に描かれた地域である。住民の半数以上、7割がたが暮らしやすさを求めて移ってきた新住民である。
新住民たちが、未知の町を開拓する手だてとして小さな雑誌を始め、21世紀には20周年を迎える。子どもたちは成人し、発信者の私たちは、しっかり地元ヅラをしている。
最新ニュースは「深大寺に温泉が湧いたこと」で、朝湯が500円というもの、「14の蔵はすべて多摩に有」として東京の地酒を扱ったものがある。まちづくり大研究と銘打って、「グリーンネックレス構想」の活動にも取り組んでいる。
大野順子氏の「知らなかった千住に会える」という講演題目は、町雑誌「千住」のテーマであるとして、次のように述べられた。
「千住」はまちの人がまちの人のためにまちの本をつくるという姿勢を保持し、通常、本をあまり読まない人にこそ読んでもらいたいという編集方針を持っている。
永く完結された町としてすごしてきた千住が、新たなまちづくりを考えるとしたら、まちの歴史を、まちの人たちの歴史を、地域の固有な資源や情報を整理し、記録して身近で分かりやすい、息の長いまちづくりのためのデータベースを作成することである。 当初、まちの急激な変化を感じたあせりから、何の充分な準備もなく走り出した。編集人は千住っ子と大阪人の弥次喜多、そして千住を愛してくれているメンバー多数がいる。
外から見た眼と中からの眼の大きな違いをうまくシェイクした新鮮な雑誌をつくりを継続させていることが強調された。
聴衆からは、地域雑誌が地域社会で果たす役割やその位置づけ、地域雑誌を外部から支援する方法についての意見が出され、刺激の多いフォーラムであった。