第131回
(話題)  地域学の明日を考える
(企画趣旨と要旨)
フォーラムは、江戸東京フォーラム事務局である一般財団法人住総研の創立50年記念として実施した。
陣内秀信委員の企画によるもので、その趣旨は次の通りである。
ながい歴史的環境のつみ重ねの上につくりあげられてきた都市の構造。それを幅広い視座から読みとくための場としての江戸東京フォーラムも既に130回と回を重ねた。
かえりみれば、この10余年は全国各地においても画一的な町づくりにあきたらず、その固有の地域文化に着目して、独自の町づくりを指向する動きが芽ばえて来たときでもあった。都市、あるいは地域構造の中に秘められた歴史を共有し、地域学の将来の実践的役割をよりみのり多きものとするために、情報の交流をはかりたい。
このような企画趣旨のもと、橋爪紳也氏からは「大阪学から」と題して、次のような講演があった。
大阪論を回顧する際、きわだつのは京・大坂・江戸を比較する「三都比べ」である。「京都八百八寺」「大坂八百八橋」「大江戸八百八町」、あるいは「京の着倒れ」「大坂の食い倒れ」「江戸の飲み倒れ」、といった物言いが生まれている。大正時代「大阪論」が再流行した際、この定型を踏襲しつつも、谷崎の「関西論」、関一等が牽引した誇らしげな「大大阪」論が世に問われている。
近年は、大阪学、堺学、阪神間学、淡路学など、地域学が盛んである。そこでは「地域比較」のまなざしが重視され、ステレオタイプとなった「物語」への批判、またそこからの逸脱をめぐる方法論の模索が行われつつある。たとえば空白の中世を埋めて古代からの通史を語る試み、住宅史分野での貢献、都市娯楽研究や「集客・観光」から見た都市観など注目すべき動向が見られる。
「地域学」のさらなる展開に必要なのは、定形から逸脱しようという精神、比較研究という視点、そして「方法の学」という確認ではないかと講演は結ばれた。
「東北学から−おばあさんの東北−」と題しての結城登美雄氏から講演は次の通りである。
ごう音をたてて車が走り去るバイパス沿いを、買物カートを押しながらおばあさんたちの一群が行く。週に一度、数キロ離れた郊外大型店に買い出しに行くのだ。近年こんな光景を東北のあちこちで見かけるようになった。
都市だけが画一化されたわけではない。地方もまた、都市が送り込む巨大システムに席巻され、大きく変容している。シャッターを閉じた、人影を失っていくかつての中心地と、田んぼを埋めたてて出来た新しい町。その間をおばあさんたちが行き来する。遠くなったのは買物の場だけではない。人と人の距離もずいぶんと隔ってしまった。
会話のない家族、見知らぬ隣人、つながりを失った地域。人が住み、生きていく町はどうあったらよいのか。何を基準に、誰を中心に考えたらよいのか。結城氏は東北のおばあさんたちの後姿が問いかけている。
一方、これに抗するかのように、身の回りへの関心が高まっている。小さな農産物直売所や市(いち)の開設。広場やたまり場づくり。様々な共同作業や工房づくり。それらはこれからも暮らしていく自分の町の整え直しの動きである。そしてその中心に、自分たちの地域を改めて知り、考え、行動する「地元学」があった。
人をつなぐ「地元学」とは何かが東北の現場から投げかけられた。
「江戸東京学から」と題しての講演が、森まゆみ氏からあった。
1984年、仲間の3人で地域雑誌「谷中−根津−千駄木」を始めた。季刊、1万部で15年つづけている。従来の行政による行政史、学者の地域調査とはちがい、定点観測、聞き書きを主に、住民によるワークショップも含めて、町の歴史の立体的な記録の蓄積をすすめている。建物の保存、不忍池などの保全、そのほか環境と共生する生活の提案、地域の問題の議論の場ともなっていると報告された。
江戸東京学を1つの地域学のケースとして、地元から学ぶ、ダイナミックな学としての展開が期待されたフォーラムであった。