第126回
(話題)  明治期の被差別部落−都市東京と植民地主義の言説編制から−
(要旨)
明治期における公衆衛生政策の展開は、近代的な<差別>の現前化において役割を果たしている。このことについて、成田龍一や安保則夫らはひとつの類型を研究によって提出してきた。だが、第1に、<近代>の定義が明治社会の成立と同一視されている。近代的な<差別>の成立とは、いわゆる近代社会における<部落差別>の成立を包摂している。問題は、近代における家父長制の成立を問うことと同様に、<近代>と<前近代>、<進歩>と<伝統>等々の際限のない二項対置−相互嵌入的な議論のただ中にあることである。
「近代の部落問題」の確立は、「特殊(種)部落」という言辞が散見される明治20年代後半から30年代とされる。戦間期における国民的主体の創出という問題構制であり、それは同時に植民地の獲得を契機とした「国内」の都市と農村における<境界>の<発見>と<創出>であった。東京をフィールドとしたスタディも、ひとつの<起源の創出>に規定された問題構制を極力避け、その<痕跡>を追うことからはじめると、多声的な系が提示できる。そうしてみると、その場合<近代化と身体>、<視覚の権力>といったテーマのよき実証例とされてきた<衛生>という審級が、どのような位相を占めることになるのかが問われることになる。ここで参考になるのは、衛生−身体の審級を、都市空間の表象分析から問うてきた研究視角である。言文一致運動=国民的主体の確立という事態の一方で、多声的な系を多声性のままに「国民」へと編制しようとする働きがある。これらの議論から、そこに働く排除と編制の様式が提出される。