第122回
(話題)  町奉行所・定火消屋敷・聖堂・上水−絵図・図面にみる江戸の都市施設−
(要旨)
巨大都市・江戸には、行政・市民生活・文化を担う多様な都市施設が整備されていた。これらの施設の様相を視角的に知ることができる絵図・図面を集成して刊行した。それが、『江戸城U<侍屋敷>』(至文堂、1996)である。
江戸の町奉行の職務は、刑事・民事の裁判ばかりでなく、市中の治安警備、消防、道路・橋梁・水道の維持管理、牢屋や養生所の運営と多岐に及んだ。南・北の町奉行所は、隔月で門を開き、訴訟等を受け付けた。町奉行所の建物は、(1)裁判のための空間、(2)行政のための空間、(3)町奉行の住宅、(4)付属部分と、明確に機能分化されていた。判決を言い渡す白洲の部分は、屋根のない青空で紹介されることが多い。しかし、実際は屋根がかかっていたのである。このことは注目される。
明暦大火後、定火消の制度が設けられる。定火消の旗本は、与力・同心さらに臥煙と呼ばれる火消人夫とともに火消屋敷に起居した。江戸市中における、火消屋敷の分布状況は、江戸の都市構造や政策の変化を反映し、初期には江戸城の西北に集中し、元禄期には全域に拡大、享保改革期の町火消の成立により、ふたたび西北部に集中するようになる。
このほか、火の見櫓の構造、上野忍岡から湯島へ移転する聖堂の平面、四谷駅前で発掘された玉川上水に先行する上水施設などについても言及された。