第105回
(話題)  縁切寺−東慶寺と満徳寺−
(要旨)
上州の満徳寺(時宗)と鎌倉の東慶寺(臨済宗)はともに鎌倉時代の創建になる縁切寺である。縁切寺=駆込寺とは、宗派を問わずそこに駆け込んだ妻を救済して夫との離婚を達成してくれた尼寺である。満徳寺では千姫が入寺し離婚後再婚した。東慶寺では千姫が助命した豊臣秀頼の息女・天秀尼(20代住職)の入寺にあたり家康が特別許可を与えた。両寺とも縁切寺法の特権が再確認されたと伝えられている。
江戸時代、庶民が離婚するときには、幕府法上「離縁状」が必要としてされている。この授受によって夫婦とも離婚・再婚することができた。離縁状は「三行半」とも呼ばれるが、1行半から14行半に及ぶものものあった。
縁切寺では駆け込みがあると、女の身元を調べ実親を呼びだし、熟縁(復縁)を説得する。寺では結婚の継続が女の幸せと強く考えているからである。その後に召喚された夫の懇願により復縁を承知する内済(示談)が成立(内済帰縁)すれば、内済帰縁済口証文を寺に提出し下山し夫のもとに帰ることとなる。あくまで妻が離婚を願う場合、夫から妻への離縁状と寺への夫妻連署の内済離縁済口証文が出されると決着する。そして、妻から夫へ趣意金(慰謝料)を差し出すのが慣例で、現在の有責配偶者負担と異なる。内済が不調の場合は、女を寺入りさせ、寺法を発動して夫から強制的に離縁状を差し出させる(寺法離縁)が、これは極めて稀なケースであった。
離婚という視点から江戸を見直すとき、このように女性の権利を擁護した縁切寺の制度の存在は、世界にこの2つしかないこととも合わせて特異と言える。