蔵書探訪・蔵書自慢 23
建築資料を取り巻く環境−過去15年を省みて

米国アーキヴィストの助言
1990年代半ば、北米約25の建築アーカイブを訪問し、施設の設立経緯や資料収集のポリシー並びに管理法などを尋ねて回った。当時日本にはまだ確固たる建築アーカイブが設立されていなかったので、インタヴューの終わりにはいつも、日本に建築アーカイブを設立するための秘訣や、建築アーカイブ設立に先駆けて準備すべきことを問うた。大半のアーキヴィストは、建築資料の所在調査とそのデータベースの構築を勧めた。これらは彼ら自身が建築アーカイヴスを設立したときに実行したことだから真実味があったし、また今から振り返っても、的を得た助言だった。それは、(1)建築資料の所在調査・確認作業は、資料の散逸防止効果をもつ、(2)資料の所在さえつかめていれば、いざ建築アーカイブが設立された折には、それらを容易に収集することができる、(3)資料の電子データベースが構築されていれば、インターネット時代の到来とともに建築資料検索の幅が一気に広がる、そして、(4)デジタルアーカイブの発展に伴って数多くの建築資料がインターネット上で公開されるようになれば、資料がどこに保管されているかは大きな問題でなくなる、などの理由による。
たかだか15年前のことではあるが、当時はまだインターネットも発達しておらず、散在する建築資料の所在調査は、言葉で語るほど容易ではなかった。それ以前にも研究者の方がたの地道な努力によって特定の資料のありどころは判明していたが、この作業は、1998年にドコモモ・ジャパン設立準備委員会が発足してから飛躍的に進歩したと思う。

電子情報公開時代と建築資料の散在
インターネットの普及は、情報の広範かつ迅速な収集を可能にし、今ではインターネットを介して収集できない情報は無視されてもおかしくない時代になった。Web2.0の導入によって、第三者による既存情報の編集や書き換えが可能になり、そのために情報の信頼性が議論される一方で、インターネットを介して最新情報が簡単に入手できるようになった。私たち図書館司書ですら、ちょっとした調べものは、GoogleやWikipediaに頼ることが多い。
日本の建築や建築資料に関する情報も、海外に比べたら未熟とはいうものの、かなり充実したデータベースが公開されるようになり、資料のデジタル化も進んでいる。建築資料が至るところに散在していたとしても、所有者がそのデータや画像を電子情報として公開すれば、それらを世界中のどこからでも検索できるようになった。しかもそれらに個人がタグをつけたり、他とリンクしたりして、自分自身のデータ・アーカイブを形成し、有用な情報として利用する時代がやってきたのは、驚くべきことだ。
日本の場合は、建築アーカイブ設立の動向とインターネットやデジタル化の波及が同時に進み、それゆえ、前号で加藤雅久氏も述べていたように、多くの人びとが「デジタル化=原資料の破棄」と勘違いしていることが問題だ。

故・斉藤大使記念館資料
ここで、資料の所在確認とデータベースの構築、そしてそれらを公開することの重要性を示すひとつの事例を紹介したいと思う。
5年ほど前、筆者が他4名の仲間とともにアントニン・レーモンドの展覧会出展物やカタログ掲載物の選択に当たっていたころ、レーモンドが米国議会図書館の中に計画した、故斉藤在米前日本大使の記念館に関する資料がなかなか見つからず困っていた。記念館は最終的に計画案に止まったが、当時レーモンド事務所に席を置いていた吉村順三さんも関わったことで知られる、興味深いプロジェクトである。残された関連資料で見つかっているものはパースのみで、同図書館の建築センターにも問い合わせたが、結局それ以外の資料は見つからなかった。
寄遇にも筆者は2年前から米国議会図書館のアジア部日本課に勤務することになり、最近、坂西志保さんという、1930年に日本人として初めて正式に米国議会図書館に採用された司書が残した個人ファイルを見る機会に恵まれた。驚くやその中に、「故・斉藤大使記念室」というファイルを見つけた。中にはレーモンドや吉村順三さんが坂西さんに宛てた手紙や、他の関係資料が収められている。レーモンドからの手紙は11通、吉村さんからの手紙は24通にわたる。坂西さんは、レーモンドと米国議会図書館の橋渡しを務めていたようで、当時やりとりした手紙をきちんと保管していたのである。もちろんEメールの時代ではないから、坂西さんがレーモンドや吉村さんに宛てた手紙はここに保管されていないが、残された書簡からプロジェクトの経緯(特になぜこのプロジェクトが計画案で終わったのか)が浮き彫りになってくる。吉村さんの手紙の中には、戦渦にともなって彼が帰国を決意し、サンフランシスコから日本へ戻る船へ乗船する直前に坂西さんへ宛てたものも含まれている。24通の手紙の中でその手紙だけが「左様なら(さようなら)」という結語で締めくくれられていて、それが戦争のためにしばらく米国には戻れないことを予期する吉村さんの心情を表すように思われてならない。
レーモンド展覧会チームもさすがに米国議会図書館のアジア部日本課にこのような資料が存在するとは夢にも思っていなかったし、われわれが調査をおこなっていたころは、坂西資料はまだカタログ化されていなかったので、検索のしようもなかった。

資料保存・公開の重要性
レーモンドと吉村さんの書簡を見つけたとき、あまりの興奮に、筆者は同僚のオフィスを駆け回り、通常プロジェクトが終わればあまり大切とも思われず廃棄されがちな手紙などを保管しておくことの意義を説いて回った。
15年前に勉強した建築アーカイブの基礎原理に基づけば、関連資料はひとところに保管されるのが望ましい。しかしながら、電子情報化が発達した今は、関連資料を所有する組織が協働してデジタル・コンソーシアムを形成し、散在した資料を電子情報としてひとところに収集する努力がなされている。つまり、すでに資料の散在は大きな問題ではなく、一方で建築アーカイブは、所有物をきちんと保管し、その公開に努めることを使命とすべきである。

中原 まり (なかはら・まり)
(「すまいろん」09年秋号転載)