蔵書探訪・蔵書自慢 22
資料の散逸・滅失、そして蔵匿

建築資料保存の近況
この10年間、インターネットで資料検索効率が格段に向上し、デジタルアーカイブズなるものもあちこちで目に付くようになった。しかし建築資料の危機的状況は相変わらずである。この「図書室だより」では数々の素晴らしい蔵書が紹介されてきたが、裾野の広い建築全体からみればごく一部である。総合学としての建築から発生する資料は膨大で、その殆どが散逸・滅失のリスクを抱えている。

資料はもう散逸している
最初に資料整理の基本5原則について触れたい。なぜなら資料散逸はここから始まるからである。
出所の原則=異なる出所の資料を混合しない
原秩序の尊重=旧蔵時の配列を尊重する
現状の記録=旧蔵時の所蔵状況を記録しておく
取扱いの平等性=整理者の判断で特定資料のみを抜き出さない
原型の保存=資料の原形(綴じられた状態など)を保存または記録しておく
この5原則は当然ながら、資料利用の便宜性と相反するが、データベースの普及により、「取扱いの平等性」以外は折り合いをつけやすくなった。旧蔵時の配列、現在の配架順、目的別のカテゴリなど、ソートは自在だ。もっとも、最初に旧蔵場所から資料を移す際に配列を崩してしまうとどうにもならない。筆者はかつて引越業者に荷造りを任せたことがあったが、「本は元通り並べる」と約束したのに新居で配列を出鱈目にされ、全く仕事にならなかった。資料配列は資料の使われ方を示す基本情報であり、配列記録のない資料はもう散逸しているのである。

資料が捨てられる時
資料が散逸・滅失する大きな機会は、組織・部署の移転や、個人の大掃除、転退職、逝去といった節目であろう。大掃除は別として、予め資料を整理し引受け先を確保する時間などほとんどないからである。定年退職でさえ、「在職中は暇が無い、辞めたら整理の場所が無い」というジレンマから逃げられない。転退職時などはある程度の期間と空間(バッファ)が必要である。
また、企業に存在する資料は殆んどが既定の保存年限を過ぎると廃棄される。企業史上重要な資料でさえ、社史編纂後に廃棄されることがある。このような散逸・廃棄は研究の現場でも発生している。せっかく研究者の手元に集積した資料が、研究完了後、廃棄されたり所在不明になるのである。社史や研究成果は、執筆者にとっては資料から得られた情報の集大成だが、資料にとっては読者が資料に辿り着くための索引である。しかも、資料は著書や論文の正しさを示す証拠であるから、資料の破棄は著書や論文の信頼性を失することになる。
いずれにせよ、資料の機械的破棄を回避するには、時間と場所の確保、それに資料情報の共有が必要である。企業も大学も中間書庫システムを導入し、場合によっては学協会等の第三者が資料整理に協力することが求められよう。

選択とプライオリティ
さて、資料整理の5原則における「取扱いの平等性」である。これは建築資料の特性上、極めて難しい。図面だけでも、大きさ、工事や業者ごとに作成される図面とそのバージョン、加えて確認申請図面である。設計図書だけではない。製品・技術関係資料、特にメーカーカタログは毎年膨大な種類が発行される。カタログは更新されるが、旧版を捨てると過去の製品を辿れない。古いもの、入手困難なもののみ保存するという考え方や、欲しい人に振り分けるという手段もあるが、選択的に滅失させていることに変わりなく、滅失した資料がいかに貴重なものであったかわかるのは数十年後である。
平等性の問題はもう1つある。図面はよいが模型や製品資料は捨てるとか、図面の中でも意匠図はよいがメーカー図面や見積書は要らない、という、資料種差別である。技術資料や部材サンプルにいたっては話題にすらされないことが殆どである。こうしたプライオリティは、建築が技術的・社会的にどのように存立しえたか検証を極めて困難にしている。

デジタル化による滅失
近年のインターネットによる資料公開とデジタル化の取り組みには目を見張るものがあるが、その陰で原資料破棄も静かに進行している。デジタル化はあくまで原資料へのアクセス軽減と利用性向上のための手段であるが、デジタル化したら原資料は破棄という考え方が多い。現在はまだ電子データの保存性は紙媒体より遥かに低い。

そして蔵匿
滅失していないが探せないこともある。ひとつには、資料へのリンクが切れることである。担当者が替わって存在が忘れられる、保管箱の表書きが無く正体不明になるなどである。これらは誤廃棄になりやすい。また、資料情報を見られないケースもある。かつて国立公文書館では、非公開文書は目録も公開していなかったが、目録が無ければ外部からは「資料が無い」と同義である。同館では近年、公開・非公開にかかわらず目録を公開するようになった。たとえ見られなくとも、資料群を俯瞰できる意味は大きい。目録の公開は資料の滅失を防ぐことにも寄与する。
一方、資料を隠す人もいる。苦労して集めた資料を、他人に労せず使われたくはないであろう。しかし、資料研究の優劣は、資料をいかに読み解くかであって、資料の所有数ではない。もっとも資料が組織や個人の財産である以上、他者に利用させるか否かを判断する権利は当然、所有者にあるし、また、体制も無いのに図書館のようになっては大変である。せめて資料の有無くらいは教えて欲しい。組織も個人も永遠ではない。資料が滅失するリスクを回避するためにも、所蔵者を守りつつ資料情報を共有する方法は無いものだろうか。

資料に語りかけ続けること
以上のように、資料を散逸・滅失から救うには多くのハードルを超えねばならないが、何よりも、この資料は必要とされている、ということを示し続けることが、資料の散逸・滅失、そして蔵匿を防ぐ最も有効な手段である。それは、コスト、時間、行動容易性すべてにおいて優位である。
求める資料が図書館や資料館にあれば、足を運び、閲覧・借用の履歴を残す。書庫の奥深く眠る資料はレファレンスサービスに掘り起こしてもらう。企業資料や個人に対しては、折に触れて便りを出すのも一案である。あくまで資料とその所蔵者に敬意を払いつつ、しかし決して臆することなく。

結びに代えて
建設業史家・菊岡倶也氏が他界されて3年が過ぎた。今回のテーマは、もともと菊岡氏にインタビューする計画であった。建設業分野の資料問題については、もう氏の口から語られることは無くなったが、氏が設立に尽力された建設産業図書館は多くの人びとに利用されている。しかし建築分野全体では、アーカイブズは端緒についたばかりであり、特に建材などの技術資料は無に等しいため、歴史的建造物の調査・修復にも事欠いている。資料の保全と活用のネットワークが広がることを切に願う。
その意味では、「日本アーカイブズ学会」(JSAS)が発足し、学際的な議論や協力の場ができたこと、そして国際アーカイブズ評議会建築記録部会編『建築記録アーカイブズ管理入門』(書肆ノワール刊)が安澤秀一氏によって翻訳されたことは大きい。建築界ではそれらを知らない人もまだ多いと聞くので、この場を借りて紹介させていただいた。建築資料の問題を建築の中だけで抱えないようにすることが、結果として問題解決の大きな力となることを確信して。

<参考文献>

  • 真鍋ほか:住総研助成研究No.9826 「建築部品・構法の変遷に関する資料の保存とリスト化に関する研究」一般財団法人住総研研究年報26、2000年。
  • 倉方俊輔:「建築アーカイブズの確立をめざして − 建築資料をめぐる国内外の現状」日本アーカイブズ学会、2004年度第1回研究集会。
  • 加藤雅久:「建築技術史資料の収集・保存・活用における諸問題−建材産業史資料を中心として」日本アーカイブズ学会、2005年度大会。

<取材協力>真鍋恒博(東京理科大学)、江口知秀(建設産業図書館)(敬称略)

加藤 雅久 (かとう・まさひさ)
(「すまいろん」09年夏号転載)