蔵書探訪・蔵書自慢 15
京都工芸繊維大学美術工芸資料館−村野藤吾とそのアソシエイツが遺した図面資料

京都工芸繊維大学美術工芸資料館が所蔵する村野藤吾図面資料の概要について紹介した前号に引き続き、本稿では、その資料の一般公開事業として1999年より毎年開催している「村野藤吾建築設計図展」について紹介したい。この欄は建築資料のアーカイブを紹介するためのものであり、展覧会を紹介するのは、主旨からそれているかもしれない。しかし後述するように、展覧会の開催は、資料の一般公開という役割のみならず、アーカイブを活用し、また生きたものにする側面を持つ。展覧会もまたアーカイブの活動の一部だと捉えるなら、ここで紹介するのは妥当だと考えられる。

毎年、5万5千点の中からテーマを設け設計図展を
美術工芸資料館では、1996年以来断続して、村野・森建築事務所より村野藤吾作品の図面・スケッチ類の寄贈(寄託も含む)を受けてきた。これらは受け入れ当初から、竹内次男教授(現・美術工芸資料館館長)が中心となって整理・保管作業を行なっており、その数は2007年現在で約5万5千点にのぼる。その概要は前号に書かれているとおりだが、これらは村野の足跡そのものであり、また建築史の重要な一部をなす一級の資料だといえる。
この寄贈を受けて、1998年に学内の教員数名に外部の委員を加えて「村野藤吾の設計研究会」を設立した。研究会の委員長は、当初、本学の西村征一郎教授が務めたが、2004年度より竹内教授が務め、2007年度から石田潤一郎教授が務めている。その主な活動は、美術工芸資料館との共同による、村野資料の整理・保管、研究、および「村野藤吾建築設計図展」の開催である。中でも展覧会は、1999年度から毎年度1回、当館で開催しており、研究会の活動の中心となっている。
これまでに開催した展覧会の概要は表のとおりである。展覧会では、毎回テーマを設定してその内容にふさわしい作品を選び、展示図面を選び出している。その際、実現案の平面図や立面図といった一般図以外に、作品の設計プロセスが明らかになる図面や、村野の手の痕跡が残されたスケッチ、詳細図など、村野の図面ならではの特徴が見出せる図面を選定するように努めている。中には、著名な作品であっても、ほとんど図面が残されていないものもある。それは、図面が単に建築物の忠実な記号であるのではなく、モノとして、それ自体が建築物とは異なる歴史を背負ってきたことを物語っている。

写真と模型が新たな資料に
この展覧会は図面を中心としたものであるが、図面を展示するだけでは作品の特徴や全体像が掴みにくい。そこで、写真や模型を合わせて展示するようにしている。写真については、第5回展で建築写真家・多比良敏雄(故人)の写真を展示して以来、ご子息でやはり写真家の多比良誠氏のご厚意により、多比良敏雄によって竣工時に撮影された写真を新たにプリントし展示している。これらの写真は、展覧会終了後には、新たな村野資料としてアーカイブに加えられることになる。展覧会の開催が、新たなアーカイブを生み出しているといえるだろう。
模型については、研究会の委員の一人である松隈洋准教授および石田教授の研究室の学生が、竣工時の図面を用いて新たに製作している。いずれも学生の製作とは思えないほどの高い精度と密度を備えた模型となっており、毎年賞賛の声が寄せられている。これも図面資料があるからこそ可能なものである。現物の建物の多くは、年月を経る中で改修、改造、増築されていることが多い。そのため、竣工当時の姿の模型を製作して初めて、村野の当初の構想の立体的な理解が可能になる。この時模型は、図面に補助線を引くような形で新たな歴史資料になっているといえる。

見えてきた村野藤吾の設計に向かう姿
こうした作業を経た村野藤吾建築設計図展を通じて明らかになるのは、何よりも村野作品の豊かさや多様さである。モダニズムの方法に基づいた明快さと、それとは相反するような徹底した細部の技巧へのこだわりや古典様式への志向性、あるいはマニエリスム的な「ずらし」や「はずし」の技巧性、およそ合理的とは言いがたい素材や細部の扱いなどが同居していることが、精緻な図面から読み取れる。図面を通じて考察するため、全体から細部までを等価に扱うことができ、現物の作品では見出せないような発見も多い。
加えて、図面資料ならではの、未完の計画案や設計プロセスが明らかになることも興味深い。村野が敷地やさまざまな条件を前にしながら、複数の可能性を探っていたことが多くの図面から見て取れる。そしてそのことは、村野の図面資料は、村野の作品が途方もなく多くの手間とプロセスを経て形が決定されていることを示している。
また展覧会が、新たなアーカイブを生み出したり、図面の可能性を引き出したりするという、別の効果があることを発見したのは大きな収穫でもあった。展覧会開催のための調査が、新たな資料を発掘することもある。展覧会は、ただアーカイブの図面の紹介のためにあるのではなく、アーカイブを生きたものにし、より豊かなものとする上で、大変効果があるのだといえる。

新しい村野研究の領域を開く
村野については、生前から多数の作品集が刊行され論評も多数存在するなど、実現した作品はすでにさまざまな角度から検証されている。しかし一方で、村野は時代とは隔絶した独自の世界を持つ建築家として、その創造の過程や現場が過度に神秘化されてきたきらいがある。図面やスケッチ類を通じた、いわば「創作の現場」に即した研究や論評はほとんど見当たらず、図面やスケッチによる構想だけに終わったプロジェクトについても知られていない。村野がどのような思考や創作の過程を経て、作品を生み出していたのかについての解明は、従来の村野研究にはなかったといっても過言ではない。そのような意味で、村野の図面資料は、村野研究の新しい領域を切り開くことになるだろう。そして展覧会は、その研究の実践の場としても機能することになるだろう。
なお村野藤吾建築設計図展では、毎回図録を作成し販売している。研究会の委員が内容を決定して図面選定や論考執筆を行ない、学生が編集作業を進めており、大変充実した内容となっている。郵送により販売している。第1回展以外は在庫がある。購入希望者は京都工芸繊維大学「村野藤吾の設計研究会」(kasahara*kit.ac.jp)まで連絡を。

・お問合せ時には、上記お問合せメールアドレス中の「*」を@に変えてください。

「村野藤吾建築設計図展」これまでの概要

  開催年度 展覧会タイトル 展示作品概要 シンポジウム・パネラー
(敬称・肩書略)
第1回 1999年度   村野の代表的な28作品 本多友常、石田潤一郎、竹内次男
第2回 2000年度   世界平和記念聖堂と日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)の2作品 内藤廣、福田晴虔、岸和郎、松隈洋
第3回 2001年度 村野藤吾とふたつのそごう 旧大阪そごう百貨店と旧読売会館・そごう百貨店の2作品 川添登、永田祐三、石田潤一郎
第4回 2002年度 村野藤吾の初期作品をめぐって 1920年代から30年代の8作品 長谷川堯、竹原義二、石田潤一郎
第5回 2003年度 村野藤吾と建築写真 写真家多比良敏雄による村野作品の写真とともに6作品 林昌二、石井修、竹原義二、川道鱗太郎、石田潤一郎
第6回 2004年度 村野藤吾と1940年代 1940年代の戦中戦後の23作品を展示 太田隆信、福田晴虔、石田潤一郎、西村征一郎
第7回 2005年度 村野藤吾と公共建築 戦後の村野の公共建築10作品 高橋てい一、鈴木博之、石田潤一郎、中川理
第8回 2006年度 文化遺産としての村野藤吾作品 近年重要文化財や登録文化財となったものを中心に10作品 藤森照信、堀勇良、石田潤一郎、松隈洋
第9回 2007年度 村野藤吾・晩年の境地(仮題) 1970年代から80年代の12作品(予定) 長谷川堯、神子久忠、石田潤一郎(予定)

笠原 一人(かさはら・かずと)
(「すまいろん」07年秋号転載)