蔵書探訪・蔵書自慢 10
金沢工業大学「工学の曙文庫」2

金沢工業大学において、1982年に創設された「工学の曙(The Dawn of Science and Technology)文庫」は、その名が示すように、グーテンベルグが活版印刷術を実用化して以降、現在までに出版された、工学・科学技術を創造してきた重要業績の初版本を蒐集したレア・ブック(rare book・稀覯(きこう)書)コレクションである。前号で、本学がこのようなコレクションを創設した動機と、蒐集の体系性こそが本文庫のユニークさであることを、ウィトルウィウスの建築論を例に述べた。
今回は幾何学書を取り上げ、その蒐集の体系性について、さらに解説してみたい。

ユークリッド以来の幾何学書の体系
周知のように、平面幾何学のほぼ完全な論理的体系を創出したのはユークリッド(紀元前300年頃活躍)であり、アラビア語に訳されて保持されていたその『幾何学原論』がラテン語訳されて最初に出版されたのは1482年、ヴェネツィアにおいてであった。しかしユークリッドの論は直線図形のみを対象とするもので曲線図形を含まない。これを補完したのが楕円や放物線、双曲線等の円錐曲線を扱ったペルゲのアポロニウス(紀元前245年頃〜190年)の『卓越せる数学者の全集』(1537年初版、ヴェネツィア)であり、円の求積法を述べたアルキメデスの『四辺形、円の求積法』(1503年初版、ヴェネツイア)であった。これで二次元空間としての平面幾何学の論理体系が完成したわけだが、これに空間座標の概念を持ち込んで三次元空間の幾何学に拡張したのがデカルトの有名な『方法序説』の付けられた『幾何学』(1637年初版、ライデン)である。デカルトはまた、この空間座標の概念によってこの三次元ユークリッド=デカルト空間におけるあらゆる図形を、方程式、すなわち関数として扱えることを可能にしたのであった。つまり彼は解析幾何学を創始したのであって、実にこのことによって我われは三次元空間内でニュートン(1642年〜1727年)がその『自然哲学の数学的原理』(1687年初版、ロンドン)において確立したニュートン力学的宇宙における運動を代数的に扱えるようになったのであった。デカルトといえば、この『方法序説』における「コギト・エルゴ・スム(我思う故に我在り)」の表明が、近代的理性の確立として哲学史上絶対的な評価を受けているわけであるが、筆者に言わせれば、プラクティカルな形而下的意味において、人類にとっては、この解析幾何学の創始の方が、コギトよりは遙かに価値があったのである。
ところでユークリッド幾何学の全体は、その第五公理「平行線は交わらない」すなわち「所与の直線L上に無い点Pを通ってLに平行な直線は唯一本存在する」を前提として構築されている訳であるが、この第五公理が真に公理であるか否かについては既にユークリッド自身が疑義を持っていた。これは「交わらないものは交わらない」と言っているだけのトートロジーではないかというのである。そこでこの第五公理を定理として証明する試みが古来よりなされてきた。一節によると7000点以上の著述が書かれたが、総て失敗に終わったのである。

非ユークリッド幾何学の登場
この試みで最も成功というかブレーク・スルーに近いところまで行ったのが、サッケーリ(1667年〜1733年)の『あらゆる点から清められたユークリッド』(1732年初版、ミラノ)である。これは第五公理「所与の直線L上に無い点Pを通ってLに平行な直線は唯一本存在する」の証明が困難なのであれば、これに対して、(1)「Lに平行な直線は存在しない」という命題と、(2)「Lに平行な直線は二本以上存在する」という命題を立て、この二つに基づいてユークリッド幾何学を展開してみればすぐに行き詰まってしまい、この二つの命題は否定されるであろうから、それによって第五公理の真理性がいわば消去法によって証明されると考えたものであった。
そこでサッケーリは勇躍この研究に取り組んだのであったが、(1)を前提とした場合は予想通りすぐに展開が不可能になったのであるが、(2)の場合はなんとどんどん展開が進んでいったのである。彼は、彼の同時代人同様、ユークリッドを神格化して見ていたので、これはユークリッドに対する冒?であると考えてそれ以上の展開を中止し、それまでの経過を上述の書物に纏めて出版したのであった。正に「流星光底、長蛇を逸す」というわけでサッケーリは世紀の発見を逃してしまったのである。
この(2)の場合を淡々と展開して完全にユークリッド幾何学を読み替えてしまったのがロバチェフスキー(1792年〜1856年)であって、彼はこの成果を『幾何学の起源について』(1829年〜1830年、初版、カザン)と題する5編の論文に纏めて、カザン大学研究紀要において発表した。この論文初版の完全揃いは極めて稀覯で現在一揃いしか世界に残っていないといわれている。このロバチェフスキー幾何学は、空間曲率がゼロ(平面)のユークリッド幾何学に対して、空間曲率がマイナス(即ち凹面)の幾何学であって、従って四次元非ユークリッド幾何学を彼は確立したのであった。
実はロバチェフスキーとは独立に、同じ非ユークリッド幾何学を発見した人はもう一人いて、それがボヤイ(1802年〜1860年)である。事情があって埋もれたままになりそうだったこの発見は、『空間の絶対的真正科学の説明のための補遺』(1832年〜1833年、初版、マロシュ・ヴァサルヘリニ)という論文に纏められ、彼の父が出版した数学教科書の付録(補遺)として出版されたのである。何の変哲もない父親の著書がこの論文のお陰で不朽のものになったのであったが、付録論文の価値など見抜く人は少なかったため、この書物は忘れ去られて失われること多く、やはり稀覯なものとなっている。
さて、空間曲率がマイナスの幾何学が存在するのであれば、それがプラス(凸面)の四次元幾何学も存在するであろう。これを立証したのがリーマン(1826年〜1866年)の『幾何学の基礎にある仮説について』(1867年、初版、ゲッティンゲン)であった。これで幾何学の全論理体系が完結した訳であるが、アインシュタイン(1879年〜1955年)がその『一般相対論の基礎』(1916年、初版、ライプツィヒ)において確立した相対論的宇宙の四次元時空間のフレームワークを、このリーマンの四次元幾何学が与えているのである。

長々と述べたが、このように各々の業績は相互に連繋して、一つの完結した体系を作っていくのである。そうして、ここで挙げた例でいえば、サッケーリの著作を除く総てのものは本文庫に既に所蔵されているのであって、蔵書でもってこの体系を示すことができるのである。

竺 覚曉(ちく・かくぎょう)
(「すまいろん」06年夏号転載)