猟書−文献探索のたのしみ 3
洋書について

今日、私たちはさまざまな海外文献の入手手段をもっている。ひと昔前は、その海外文献を持っているかどうかで、研究者として優位性を持つことができた時代がウソのようである。むしろ今日は、入手できる大量の海外文献のなかで、読むに値するものが何であるかを選別する能力の方が重要になっているといってよい。

この点に関しては、筆者が足元にも及ばない先達が大勢おられる。個人名を出して恐縮だが、大田邦夫先生は天才的であるといっていい。東欧の民家建築の研究をされていたおり、まだベルリンの壁があった。にもかかわらず、強行軍の東欧の調査旅行からは、いつも膨大な民家関連の文献を持ち帰られていた。当時、大田先生にうかがったところでは、特定の町への限られた滞在の間、どういうところに民家関連の本を扱う書店があるのか、そして立ち並ぶ本のなかでどの本が持ち帰るに足るものであるのか、勘が働かれるということであった。勘!それはもはや暗黙知の領域であり、太田先生の文献収集に同行しないかぎり、その一端にすら触れることができない奥義である。

筆者はこのような奥義を持ち合わせないので、ロンドンを拠点とした海外文献猟書の体験・教訓を以下に紹介する。インターネットで簡単に海外文献を買えるようにはなったが、やはりロンドンの書店巡りにはさまざまな価値がある。

お急ぎの方へのおすすめは、RIBA(英国建築家協会)内の書店である。建築関係の本が、ジャンル別・作家別に見やすくディスプレイされていて探しやすい。筆者の研究的関心からいうと、ICE(シビルエンジニア協会)やRICS(サーベイヤー協会)の中にある書店も小さい面積ながら充実している。また、AAスクールのなかやLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス)前の書店も楽しい。Building Centreの書店も昔はよく活用したが、近年改装されて1階から地下階に移ってしまい面積も半減してしまった。

これらは、職能団体や学校に付属または隣接する専門書店である。ネット上の検索と違って、いまどんなトピックの本が数多く出版されているのかを、五感を動員して一覧的に把握することができる。例えばRIBAの書店で、『GA』をはじめとした日本の雑誌・作品集も数多く取り揃えられているのをみると、日本の建築活動に並々ならぬ関心があることが感じられるし、環境関係の本が行くたびに増えているのをみれば、なるほどなと思ったりする。

また、本を立ち読みさせてもらうことで、タイトルだけの見かけ倒しの本なのか、内容充実の本なのかを検分できる。頻繁にロンドンにいくわけではないので、近年はずいぶんカタログ買いに依存している。この実地検分は紙媒体・電子媒体のカタログの限られた情報から良い本を見つけ出す勘を養ううえで、極めて重要である。

そしてこれらの書店巡りの最大のメリットは、店員の方々がプロであるということである。繰り返し論文で引用されている文献、友人などが勧めてくれた文献など、これらの書店を訪れるにあたって決め打ちをすることも多々あるが、残念ながら見つからないことも少なからずある。その際にはこの店員の方々を活用するとよい。タイトルを見て、多くの場合は即座に「ああその本だったらここは扱っていないが、あそこだったらあるだろう」と紹介してくれる。もちろん住所付きで!しかも、それが絶版になっていれば、紹介して下さる先が、中古書の専門書店だという念のいれようである。まさにヒューマンコンタクトの世界。

エスピオナージュ小説では、米国の諜報機関が情報テクノロジーを駆使しているのに対して、英国の諜報機関はいまだにヒューマンコンタクトを大切にするというのがお決まりのパターンだが、それもそうだということをこんなことから実感してしまう。

8年ほど前に日本のテレビ局が、明治大正期に日本に滞在した英国人の日記を探索する番組を放映した。探したが結局見つからなかったというのがその番組の結末であった。が、実はあったのである。番組放映後しばらくたって、日本のとある稀覯本専門店にロンドンの某書店から連絡があったそうで、筆者も偶然その稀覯本専門店の方が仕入れて帰国される中途、「幻」の日記の原本を見せてもらい、それがいかに垂涎の的かもよくわかった。中古書店の間にヒューマンコンタクトのネットワークがあって、日本のジャーナリズムが探索している際には、さもないかのように振る舞って、ちょっと経ってから見つかるあたり、まさにエスピオナージュ小説ばり。

こんな裏世界が広がっているのを知ってしまうと、世の中インターネットになってもやはり書店巡りはやめられない。

野城 智也(やしろ・ともなり)
(『すまいろん』02年春号転載)