猟書−文献探索のたのしみ 10
ミラノでの文献探訪

西洋建築史を専門にする私は洋書を日常的に扱う。したがって、文献探しに外国にまで出向くことは、いわば研究の必須条件である。1997年から1999年まで私はイタリアのミラノにいた。はじめての外国暮らしであった。そこでの文献探しを思い返してみると、たしかに当時は厄介な作業だなぁと感じたけれど、今となっては人生の貴重な体験として懐かしい。ここに、その体験の一端を書き綴ってみようと思う。ここに記す情報が実際にミラノでの文献探しの参考になれば幸いであるが、すでに4、5年もの月日が経っている。往時の情報がすでに現状にそぐわないことも十分ありうるが、少しでも参考になることがあればと思う。

●ミラノ工科大学にて
ごく当たり前のことに思われるかもしれないが、文献を探すときに最初にしなければいけないのは、目当ての文献がどこにあるのかを知ることである。しかし、これは慣れない環境であればあるほどそんなに簡単なことではない。今はどうか知らないが、少なくとも私が滞在していた頃、イタリアには文献名を入力して一発で所蔵図書館がわかるようなシステムはなかった。イタリア中のあらゆる図書館やアーカイヴの蔵書が横断検索できるシステムがあるといいなぁ、と何度思ったことか。しかし、この頃の私はまだ青かった。そのうち、ものごとが簡便にすぎるのは逆に味気ないというもの、トライ・アンド・エラーを楽しむくらいの余裕がなければいけないなどと考えるようになった。どんな環境にでも柔軟に対応しなければストレスがたまってしまう。
さて、私なりにいろいろな経験を積んだ末の結論はこうである。最良の方法は「その筋の人」に聞くことである。もっとも、じゃあ「その筋の人」はどうやって探すのかと言われそうだが……。まあ、それに関しては個人的な環境が左右すると言わざるをえないだろう。私はミラノ工科大学の教授陣に全面的にお世話になった。彼らにはいろいろな研究相談もしたけれど、必要な史料がどこに行けば見られるのかを教えてもらえたのが一番ありがたかった。考えてみれば、「その筋の人」が先ほどの横断検索システムにほかならない。たしかに今ではどこでもコンピュータで検索が可能だ。しかし、検索の範囲が個々の図書館に限定されていると、やはり有能な「その筋の人」の知恵を借りるのが手っ取り早い。
当時の私に一番身近な図書館は、大学の建築学部中央図書館であった。第二次大戦後の出版物はだいたいここに行けば用が足りた。ちなみに、もう少し郊外のボヴィーザ・キャンパスの図書館には、近年の論文を閲覧したいときに出向いた。だが、歴史研究には比較的新しい出版物や論文、すなわち二次史料ばかりでは不十分である。私は19世紀の建築のことを調べようとしていたので、19世紀に出版された書物類が一次史料となる。こちらは工学部中央図書館にお世話になった。
建築学科が工学部に所属する日本では不思議に思われるかもしれないが、イタリアでは工学部と建築学部は別々の学部であり、両者は対等で同格である。建築学部の図書館が現代建築のなかに入っているのに対し、工学部の図書館は1927年に建てられたネオ・ルネサンス建築のなかにある。歴史的な装飾のあるインテリアには、少しばかり格調の高さが感じられる。雰囲気はよかったけれど、問題はあった。古い史料は原則としてコピー禁止なのだ。こうなると、研究スタイルもかなり古風になる。私は何日も図書館に通いつめ、閲覧室でどこが重要で必要になるかを必死で見きわめ、該当箇所をひたすらノートに書き写すという作業を続けた。なんとなく自分が中世の修道士になったような気分であった。非常に手間ひまのかかる作業ではあったが、アカデミックな空気を満喫することができたような気がしている。

●学外にて
格調の高さで言えば、パラッツォ・ブレラにあるブライデンセ国立図書館がミラノでは一番だろう。絵画館や美術アカデミーも入っている16世紀の建築であるパラッツォ・ブレラは、なかなか雰囲気があって、向学の気分をかきたてるには十分である。ただ、それなりにセキュリティも厳重なので、利用の際は玄関で手荷物をロッカーに入れ、ちゃんとした身分証(外国人であればパスポート)を提出しなければならない。ここは主に近世以降の古美術書が充実している。私の直接の研究分野ではなかったので足繁く通うことはなかったが、たまに行って書架を眺めるだけでもなかなか良い目の保養になった。
その他、市内にはいくつもの図書館やアーカイヴが点在しており、それぞれ時代や分野によって蔵書が異なる。博物館に小さなアーカイヴが併設されている場合もあるし、ある団体組織にちょっとしたアーカイヴがある場合もある。私の経験から言うと、小さいアーカイヴほど利用しやすい。まず、セキュリティのチェックがない。筆記用具を出して、荷物をロッカーに預ける必要もない。私はある団体のアーカイヴをたずねたことがあったが、そこにはコンピュータによる検索システムがなく、小部屋に数人のおばちゃんが事務作業をしているだけだった。こんなところに目当ての史料があるのかと半信半疑だったが、おばちゃんはすごく丁寧に応対してくれた。そして、倉庫のようなロッカーから19世紀の史料があっさりと出てきた。あっさりすぎて、かなりびっくりした(たぶん、ここには限られた種類の史料しかないのだと思う)。さらに、おばちゃんは事務室にあるコピー機を使っていいわよ、と言ってくれた。もちろんタダで。タダもうれしかったけれども、19世紀の史料がコピーできるなんて思ってもいなかったので本当にラッキーだった(史料の保存を第一に考えれば、こんなふうに喜ぶのは不謹慎なのであろう)。ともあれ、小さなアーカイヴには人との触れ合いがあり、時には規則度外視の好待遇を享受できることもある。もちろん、逆の目が出ることもあるからそのつもりで。もしそういう目にあったら、運が悪かったと思ってとっとと忘れてしまうのがよい。

●書店をめぐる
文献検索には図書館を利用する以外にも、書籍購入という道がある。だが、これが果たす役割はきわめて低かったと言わざるを得ない。正確なことは言えないが、イタリアでは3年くらい前に出版された書籍でも手に入らないということが多かった。もともと流通している部数が少ないのか、余分な在庫が残らないように緻密な発行部数の計算があるのか。というわけで、比較的近年に出された本でも図書館へ行くことが多かった。とはいえ、ただ、書店をぶらぶらしてどんな本があるのかをチェックするのも楽しい。偶然、探していた本が見つかることもあるだろう。
よく利用したのは、大学の本屋「CLUP」である。ここでは1年間有効の会員カード(もちろん有料)をつくると、書籍がすべて1割引きで買える。とくに、ミラノ工科大教授による著書は比較的在庫が多く、手に入れやすかった。あまり品揃えは多くないが、なるべく安く買いたければ、ミラノ大学(ミラノ工科大学ではないので、ご注意を!)のそばの本屋がよい。こちらはもれなく2割引きで購入できる。たまにぶらっと立ち寄って気に入ったものがあれば買うという使い方に向く。とにかくいろいろな本を手にとらないと気が済まないというのであれば、「HOEPLI」をおすすめする。大聖堂からガレリア・ヴィットリオ・エマヌエレ二世を抜けて、2、3分も歩けばすぐに見つけられる。この本屋はミラノで一番大きく、有名な建築家グループBBPRが設計した建築のなかに入っている。
また、古本に関しては、「アーキヴォルト」という書店がいいだろう。新刊もあるけれど、建築の古本もかなり揃っている。高そうな貴重書がガラス張りの書架(鍵がかけられている)に鎮座ましましていたのを覚えている。かつて研究対象としていた18世紀の書(もちろんオリジナル)を見つけたときには、かなり胸が躍った。ぜひとも手にとって見たかったのだが、たんなる冷やかしに思われたのか、一見さんお断りだったのか、店員さんはついぞ書架から出してはくれなかった。相当高価なものだから、たしかに私には買えなかったのであるが……これはちょっと悔しい思い出である。おそらく、私のような青二才に気軽に見せられるような代物ではなかったのであろう。
近年、新刊書の購入に関しては、インターネットによってずいぶん便利になってきている。「iBS.it(Internet Bookshop Italia)」というウェブサイトでは、書籍の定価表示に円も使われているくらいであるから、日本人の利用が増えているのかもしれない。日本からわざわざ出向く必要がないというのは大きなメリットである。ただ、インターネット・ショッピングには現物を手に取ることができないというデメリットがある。それだけに、ウェブサイトになるべく多くの書籍データが載せられていると安心する。いや、現物を手にできないのだから、本の紹介、目次、書評などが充実していないと話にならない。新刊書に限らず、古書販売もインターネットで行なわれている昨今であるが、いずれにせよ正確な情報の提供が望まれる。ネットによる書籍購入が普及すると、いずれそのためだけに海外へ出向くことはなくなるだろう。それはそれで少し寂しい気もするが、図書館やアーカイヴの史料に関してはまだまだである。しばらくの間は、現地に行かずに用がすむことはなさそうだ。今後も貴重な体験をさせてもらえそうである。

横手 義洋(よこて・よしひろ)
(『すまいろん』04年冬号転載)