猟書−文献探索のたのしみ 1
古書探索の愉しみ

●古書と出合う
私が古書とつき合い出したのは、研究上必要にかられてのことである。それまで古書など何の興味も無かった。しかしそれは私の中で徐々に存在感を増し、単なる資料的価値を越えて生活の一部となっていった。今では古書の谷間で寝起きするほどになっている。
古書の世界は広く、それぞれに深い。住宅の建て方、構造・構法、施工法・見積、材料学などの単行本のほか、カタログや図面、果てはサンプル帳まで多岐にわたるから、古資料というべきかもしれない。 建築部品・構法の変遷に関する古書の概要については、「建築部品・構法の変遷に関する資料の保存とリスト化に関する研究」(住総研研究年報第26号所収論文9826)や、「部品・構法の変遷に関する本」(すまいろん1999年夏号・図書室だより)に書いているので、今回は一つ一つを紹介するのではなく、古書と出合うことの愉しみを述べたい。そして一人でも多くの方々に古書の愉しみを判っていただけたらと思う。

●がむしゃらだったあの頃
東京などの大都市居住者でなければ、技術系の古書を店先で探すことは困難であろう。建築の古書を買いたいと思ったら、古書店から目録を取り寄せるのがよい。目録は年に数回発行されており、本のタイトル、ページ数、著者・編者、出版社、発行年、価格を記したものがずらーっと並んでいる、ただそれだけのものである。初めて目録を手にした人は、各々の本に書かれた内容や、内容の濃さなどは見当がつかないであろう。もちろんこの私も最初は何もわからず「やみくも」に買った。安い本を少しずつ買っては読み比べ、読んでは買いを繰り返した。その甲斐あって、1、2年後には、タイトルとページ数、発行年などを凝視していると、その本の内容がある程度予測できるようになっていた。

●おとなになった日
新刊は各分野ごとに出版されるが、古書の在庫はきわめて「属人的」である。誰かの蔵書を引き取って売るわけだから、手放す人の専門性によって品揃えが変化する。いきなり設備の本が大量に出たり、雑誌が揃えで出たりする。そういうときに懐が寂しいと、買うほうとしてはこの上ない苦境に立たされるわけである。こんなことだから、欲しい本がそうそううまく揃うものではない。焦ってはいけない。でも本当は子供みたいに焦る。だから最初は「やみくも」になる。焦れば焦るほど「お呼びでない本」が蓄積し、自分は何をやっているんだろうと脂汗をかく。
ところが、その日は突然やってきた。ある蓄積量を越えた途端、求めるべき本がはっきり見えてきたのである。目録を開くだけで、本のほうから「買ってくれませんか」と、視神経にアピールしてくるではないか。そして最近は「今回が無ければ次がある」という気持ちも湧いてきて、平静さの中で古書に出合う緊張感を楽しむことができるようになった。

●新しきをたずねて古きを知る
私が古書を探す目的の一つは、各時代の構法を知り、その時系列的変化を追うためである。建築技術は日進月歩である。最新技術を解説した本を出版しても、数年後には別の技術が台頭し、また新しい本が出版される。では、建築技術の解説書を年代ごとに集め、時間軸でみれば、その時代の技術の進歩を振り返ることができるだろうか。残念ながら「イエス」とは言い切れない。同じ種類の本を年代別に並べてみるとわかることだが、ある部分については新しい記述が見られても、別の部分については以前に発行された同種の本と同じ図版や似たような文章が使われていたりする。これは、ひとつには「ひな型」が存在することによると考えられる。つまり、新しい本を一から著すのではなく、既刊書をお手本として新しい本を組み立てていくのである。特に図版は全て新規に描き起こすのが大変だから、既刊書から継承したものが少なくない(もちろん原著作者の了承や協力を得てのことだろうが)。技術系の古書を精読するときは、こうした「元ネタ探し」も必要である。
これとは別に、単に同じものを形を変えて出すこともある。 一つは時代にあやかった出版。例えば大正期の住宅改良運動のころには「改良」が、関東大震災後には「耐震」が、それぞれ本のタイトルに接頭語として付されていたりするが、それらの中には以前と殆ど変わり映えのしないものもある。また、諸々の理由から出版社とタイトルを変えて再出版、というパターンもある。

●もうひとつの増補改訂
同じ本でも、需要の多い本は再版や改訂を重ねることにより、内容が更新される。しかし最も興味深いのは、「非公式な増補改訂作業」つまり本への書き込みである。勉学熱心な人物が所有していた本には、講義内容のポイントが緻密に書き込まれている。書き込みは古書価格にはネガティブに働くが、具体例を書いたもの、難解な数式を平易に示したもの、記述内容を訂正したものなど、古書を解読する側にとってはありがたい限りである。もちろん意味不明の図形や気になる人の名前が繰り返し書かれていることもあるが。

●おまけ付き
ありがたいことがもう一つある。時折、本の間に挟まっている栞である。正しくは「栞代わりのもの」で、一番退屈なのは「謹呈」の帯。やや面白いのは、当時の新聞記事の切り抜き。建築とは無関係の社会事件とか、商品広告だったりするとなお面白い。また、材料や施工関係の本だと「○○商店商品型録」だったりする。一番感動したのは家庭科の教科書に教員免許取得のお祝いはがきが挾まっていたときで、「わずか全国で11人ですからね、ほんとによかつたはね」などと喜びにあふれつつも、末尾では「忙しいから返事は出さぬが便りは度々ほしい」と都合のよいことを書いていたりする。本を買ったほうとしては思わぬ「おまけ」に嬉々とするわけであるが、こういうものも、その本の「生きざま」を伝える資料として大切に扱いたい。

●本の老化
古書ならではの悩みもある。酸性紙に印刷された本や、保管環境に恵まれなかった本は、崩壊しやすくなっているのである。紙の繊維が柔軟さを失って、乾いた落葉のようになり、ページを捲るだけで破れていく。何の対策も講じないと、いずれ触った先から粉になるという最悪の状態を迎える。こういうときは一度分解して中性紙に複写し、「使うための本」を作っておく。そして原本は劣化を遅らせるために密封する。

●そして古書探索はまだ続く
大切なのは、本との出合いを楽しむことである。私は競馬も競輪もやらないが、古書だけは勝負に出てしまう。継続的に目録に目を通していると、何度も登場する本や、それっきりという本があるのに気づく。よく出る本は流しておき、めったに出ない本で勝負に出る。そして本が入手できて、しかも狙い通りかそれ以上の内容だったりすると、「よし来た」とばかりに狂喜乱舞して、その日は他の仕事を放り出してでも本を読み耽ってしまう。逆に入手できなかったり狙いが外れたりすると、とめどもない寂しさが押し寄せてきて、その日は他の仕事を放り出して布団を被って寝てしまう。どちらにしても古書が届いた日は大騒動である。かくして今日も、古書と共に夜が更けていく。おかげで論文を書くのもままならぬ。おかしいな。研究のために本を買い揃えているはずなんだが。

●住総研図書室の古書について
住総研図書室にも多くの古書がある。こちらは資料性の高いものだけをセレクトして揃えているし、希少文献も多い。また、多くの図書館では古書は閉架であるが、こちらは開架で実物を手にとることができる。古書の世界に触れてみたい人は一度来館されてみてはいかがだろうか。

加藤 雅久(かとう・まさひさ)
(『すまいろん』01年秋号転載)