住について考えるための基本図書 8
1940年代のハウジングを読む

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編著者名 書名 発行所 発行年
(*)同潤会 同潤会十年史 同潤会 1934
*宮沢小五郎 編 同潤会十八年史 青史社 1942
*同潤會 編 近現代都市生活調査 −同潤会基礎資料 柏書房 1996
(*)同潤会 時局と住宅   1939
*同潤会 東北地方農山漁村住宅改善要旨 同潤会 1940
同潤会 東北地方農山漁村住宅改善調査報告書(1〜3) 同潤会 1941
*冨井正憲 日本・韓国・台湾・中国の住宅営囲に関する研究 −東アジア4ヵ国における居住空間の比較文化論的考察 私家版 1996
*佐藤滋 集合住宅団地の変遷 −東京の公共住宅とまちづくり 鹿島出版会 1989
*西山夘三 住宅問題 相模書房 1942
*西山夘三 国民住居論孜 伊藤書店 1944
*佐藤次夫 住ひ方の研究 乾元社 1944
*圖師嘉彦 工員寄宿舎 乾元社 1945
*圖師嘉彦 厚生と建築 乾元社 1946
*西山夘三 これからのすまい −住様式の話 相模書房 1946
*市浦健 編 明日の日本住宅 相模書房 1950
*宍戸修 戦ふ国民住宅 聖書房 1943
*住宅文化研究会 家を建てる前に −国民住宅篇 住宅文化研究會 1942
*伊藤弥大郡 手軽に出来る素人建築のこつ 豊田書房 1941
*佐藤巳之吉 再建日本家屋構造 中村書店 1941
*建設省住宅局住宅建設課 編 一団地住宅計画 −配置計画の技法(公営住宅叢書2) 住宅建設協会 1950
*公営住宅二十年史刊行委員会 公営住宅二十年史 日本住宅協会 1973
*建設省 明日の住宅と都市 彰国社 1949
*住宅問題研究会 住宅問題 −日本の現状と分析 相模書房 1951
*建設省住宅局 住宅年鑑1951 彰国社 1951
建設省大臣官房弘報課 編 建設省住宅基準 −住宅設計の指針   1948
*住宅基準調査委員会 建設省住宅基準 彰国社 1949
*大本圭野 証言日本の住宅政策 日本評論社 1991
*日本住宅協会 編 昭和の住宅政策を語る 日本住宅協会 1992
*桐ヶ丘三十五年史編纂委員会 桐ヶ丘三十五年史 北郊文化 1981

昭和25年、住宅金融公庫。昭和26年、公営住宅法。昭和30年、日本住宅公団。これで戦後日本の住宅政策の三本柱ができあがった。
確かに、筆者らはこういうふうに教わった。しかし、戦中・戦後を通じての住宅に関する文献を渉猟していると、この三本柱以外にも、多様なハウジングのあり方が常に模索されていたように感じる。公的住宅政策三本柱や、個々の建築家による住宅提案といった、いわば「花形」としてのハウジングの陰に、すでに我々が忘れてしまいそうな模索がさまざまに展開していたようである。
「まだ生き証人がいるうちは歴史研究の対象とはならない」と聞くことがあるが、学園闘争華やかなりし頃に生まれた筆者にとって、1940年代という時代は既に文献からしかアクセスできない「歴史」の時代である。
以下、筆者がアクセスできた範囲内で、大まかに時代を追って、いくつかの文献をひもといてみようと思う。

●同潤会・時局・国民住居・住宅営団
アパートメントハウスの建設で有名な同潤会も、1934年の江戸川アパートを最後にアパートの建設を打ち切っている。江戸川アパートには、「東亜の盟主たるべき日本の中流階級者の住居」(『同潤会十八年史』)という定冠詞が付くのが今やお決まりとなっているが、実は建設当時には、単に同潤会創立十周年として「本会の豊富な経験に基づく最も新式なる俸給生活者向アパート」(『同潤会十年史』)という位置付けであった。これを見ると『十八年史』の定冠詞は、明らかに「時局」を意識したプロパガンダであった。この「時局」を冠した本が昭和13年(1938年)、同潤会から出ている。『時局と住宅』である。地代家賃統制令や国家総動員法に基づく幾多の資材統制令をかいくぐりながら、その存在意義を模索していた同潤会の姿を見出すことができる。
一方同じ頃、東北地方の農山漁村住宅の改善のための調査・研究も行なわれ、今和次郎、竹内芳太郎、蔵田周忠といった顔ぶれがこれに携わっていた。しかしこれも東北地方出身の兵隊(健康体)を生み出す一環として、国策に沿ったかたちで行なわれた研究であった。
国策としてのハウジングは、1941年に住宅営団設立に収斂することになったが、営団住宅で重要なのは、その調査研究プロセスと、型計画、配置計画技法の科学化・合理化にあった。こうした受託営団の設計技法を精査しているのが冨井正憲『日本・韓国・台湾・中国の住宅営団に関する研究』であり、その後の営団住宅の変容プロセスを追っている書物として、佐藤滋『集合住宅団地の変遷』がある。
住宅営団技師による住宅関連書を見ると、当時の住宅営団での住宅計画研究の、ある意味での到達点を垣間見ることができる。その最たるものが、西山夘三の『住宅問題』『国民住居論攷』である。他にも、営団技師の書物として佐藤次夫『住ひ方の研究』、圖師嘉彦『工員寄宿舎』『厚生と建築』、などをあげることができる。圖師のものは終戦直後の出版であるが、営団における研究の成果を戦後の焼け野原へのハウジングに活かそうという意図が見られる。こうした意味では、西山夘三『これからのすまい』や市浦健編『明日の日本住宅』も同列にあげることができよう。
また、一般の住宅建設はさまざまな統制により、ほとんど不可能となっていたが、それでも『戦ふ国民住宅』、『家を建てる前に 国民住宅篇』といった啓蒙書・実用書も出版されていた。

●戦後・標準設計以前
戦後の焼跡がバラックに埋め尽くされていた時、一般向けとして、『手軽に出来る素人建築のこつ』、『再建日本家屋構造』といった、自力建設の指南書的な本も出版されているが、セルフ・ヘルプによる住宅建設が当然のように必要であった時代を物語っている。
一方、公共の施策として、越冬応急簡易住宅を皮切りに、国庫補助によるハウジングが始まった。1946年には「国庫補助賃貸庶民住宅」が開始され、公的住宅建設が軌道に乗り、こうした中で都営高輪アパートも出現している。こうした公共住宅の標準設計は1949年から始まっているが、それ以前、1946年に建設省(当時戦災復興院)内に設置された「住宅基準調査委員会」による住宅基準の模索が行なわれていたことが、『建設省住宅基準』などを見るとわかる。
また、1950年前後は、戦後混乱期のハウジングの総轄と今後の展望を試みる書物が多く出版された。建設省『明日の住宅と都市』は、丹下健三、西山夘三、浜口みほといった多彩な顔触れが行なった「住宅と都市問題講座」という講演の全国行脚を記録したものである。住宅問題研究会編『住宅問題』は住宅営団時代から住宅政策に携わってきた人びとを中心に編まれ、資料的価値も高い。建設省住宅局編『住宅年鑑』は、冒頭に記した戦後住宅政策の三本柱以外で行なわれてきた終戦直後のハウジングの状況を事細かに記録しており、図表も充実している。
こうした戦中・終戦直後の公共ハウジングの流れを、分断された流れとしてではなく、一連の流れとして捉えた労作として大本圭野『証言日本の住宅政策』があげられよう。この本には本稿で紹介した文献に直接携わった第一人者の証言(裏話を含め)がナマの形で記録されている。また、昭和から平成になって、昭和住宅史・住宅政策史を総轄しようという試みも当然現れ、そうした試みとして日本住宅協会『昭和の住宅政策を語る』などがあげられる。

●埋没しそうな1940年代後半のハウジング
また、こうした公共ハウジングの王道とは異なる、特定目的のための住宅対策として「入植者住宅」「引揚者住宅」「炭坑及び産業労働者住宅」「国家公務員住宅」などが建設されたが、残念ながらこれら特殊住宅に関する文献は少ない。ただ、筆者がたまたま知っている『桐ヶ丘三十五年史』には東京赤羽の陸軍弾薬庫跡を引揚者住宅に転用し、その後都営住宅を建設した経緯が克明に記録されている。こうした「地域史」の中に、1940年代の住宅状況を照射する「お宝」が埋もれているに違いない。地道な発掘が待たれる。いや、待ってはおられない。

大月 敏雄(おおつき・としお)
(『すまいろん』98年春号転載)