住について考えるための基本図書 20
まちなみ・景観・風景

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編著者名 タイトル 出版者 出版年
*1 エドワード・レルフ(高野岳彦 他 訳) place and placelessness(1975)、(場所の現象学−没場所性を越えて) 彰国社 1968
*2 イーフー・トゥアン(山本浩 訳) space and place(1977)、(空間の経験−身体から都市へ) 筑摩書房 1988
*3 クリスチャン・ノベルク=シュルツ(加藤邦男 他 訳) genius loci(1979)、(ゲニウス・ロキ−建築の現象学をめざして) 住まいの図書館出版局 1994
*4 樋口忠彦 景観の構造−ランドスケープとしての日本の空間 技報堂 1975
*5 樋口忠彦 日本の景観−ふるさとの原型 春秋社、筑摩書房(ちくま学芸文庫) 1981、1993
*6 川添登 東京の原風景−都市と田園との交流 日本放送協会(NHKブックス) 1979
*7 中村良夫 風景学入門 中央公論社(中公新書) 1982
*8 内田芳明 風景とは何か−構想力としての都市 朝日新聞社(朝日選書) 1992
*9 鈴木博之 東京の地霊(ゲニウス・ロキ) 文芸春秋社 1990
*10 鈴木博之 都市へ(日本の近代10) 中央公論社 1999
*11 ゴードン・カレン(北原理雄 訳) the concise townscape(1971)、(都市の景観) 鹿島出版会(SD選書98) 1975
*12 クリストファー・アレグザンダー(平田翰那 訳) Pattern Language(1977)、(パタン・ランゲージ−環境設計の手引き) 鹿島出版会 1984
*13 環境文化研究所 『環境文化』31/32号特集 歴史的町並みのすべて 発売=星雲社 1978
*14 西山夘三 他 歴史的町並み事典 柏書房 1981
*15 全国の町並み保存連盟 新・町並み時代−まちづくりへの提案 学芸出版社 1999
*16 オギュスタン・ベルク(篠田勝英 訳) 日本の風景・西欧の景観−そして造景の時代 講談社(講談社現代新書) 1990
*17 隔月刊『造景』 建築資料研究社 1996〜
*18 八束はじめ 他 再発見される風景−ランドスケープが都市をひらく TNProbe Vol.6 TNプローブ 1998
*19 進士五十八 他 風景デザイン−感性とボランティアのまちづくり 学芸出版社 1999
*20 西村幸夫+町並み研究会 都市の風景計画 欧米の景観コントロール 手法と実際 学芸出版社 2000
*21 ホンマタカシ 東京郊外 光琳社出版 1998

※本文中の番号は上のリスト番号に対応

まちなみ・景観・風景に関する本を、主に1970年代以降のものについて、以下の3種類に分けて整理したい。ひとつは景観・風景の意味や力について構想する社会学的分野からのもので、もうひとつは歴史的まちなみや関連するまちづくりをテーマとした著作である。そして最後に、都市風景の現状と課題についてである。

●景観や風景の意味と力
景観・風景に対する社会学的考察が現在につながる形で始まったのは、欧米の諸研究が日本に紹介された1970年代後半からだったといえよう。レルフ『場所の現象学』1、トゥアン『空間の経験』2、シュルツ『ゲニウス・ロキ』3は現象学的地理学などと呼ぼれる分野の仕事であるが、人間の営みによって、単なる物理的空間が特別な場所になることを論じた。こうした考え方は、今では全く新しさを感じられないほど定着したといえよう。その過程には多くの著作があった。
樋口『景観の構造』4『日本の景観』5は、景観の認識方法を理論的、歴史的に論じている。川添『東京の原風景』6は、歩くことによって拾い上げることのできる、断片的な土地の記憶を、一連の歴史として論じている。切り口は、坂を中心とする地形や、日本文化のうちでも世界に与えた影響が大きいとする花卉・植木であった。庶民の生活も含めて東京の原風景を想像させてくれる。
また中村『風景学入門』7は、主に日本でどのように風景が愛でられてきたかを文学の領域にも触れながら述べている。土木工学者による風景論だった。
社会科学者の内田『風景とは何か−構想力としての都市』8は、風景の喪失は「共同社会的関係」が形成されていないことを意味していると論じた。1970年代に抱いた西欧の風景への憧憬が、日本の乱雑な風景に対する問題意識になっていることが特徴である。場所性に着目した都市史研究としては、鈴木『東京の地霊』9『都市へ』10がある。前者は、具体的な都市における歴史的事件・人物の具体的ストーリーを媒介として土地にそなわっている地霊を、後者は、都市風景の向こうに揺らいで現れる都市の一時代(近代)という時間的厚みを、各々描き出している。

●歴史的まちなみからまちづくりへ
日本に欧米の景観分析方法が大きく紹介されたのも、1970年代だった。
カレン『都市の景観11』は、景観をつくるための作法をデザイナーに対して教授するという主旨の本だった。都市景観を歩行者の連続的視点すなわちシークエンスとして捉えている。個々の建築物ではなく、それらが並んだことによって形成される都市景観が、視覚的にどのように認知されるのか、写真とスケッチによって述べている。
こうした表現手法にも関連するが、徹底した実測を記録していくデザイン・サーヴェイは、1965年にアレグザンダーらが金沢で行なったものが日本では初めての実践だった。アレグザンダー『パタン・ランゲージ』12は、好ましい環境を構成する要素を抽出し、空間づくりの作法を普遍化しようとする試みだった。
日本では、各大学研究室を中心的担い手として盛んにデザイン・サーヴェイが行なわれたが、ほとんどが歴史的集落においてであった。それまで文献調査が中心だった集落調査は、「もの」としてのまちなみを相手にするようになり、保全運動が始まった。1970年代に本格的に全国各地に広まったまちなみ保全運動の総括が、『歴史的町並みのすべて』13『歴史的町並み事典』14である。ランドスケープや保全工学など、当時の新たな考え方を積極的に導入し、住民参加についても言及しており、保全運動がまちづくりへと展開する流れが明らかである。
全国町並み保存連盟『新・町並み時代』15は、各地で営まれてきたまちなみまちづくりの実践と保全理論のこれまでの到達点といえよう。保全対象の広がり(近代建築物やスカイライン、登録文化財など)や参加の広がり(NPOやワークショップ)と、まちなみ保全の意義が深化する過程は連動していることが読みとれる。

●都市風景の現状と課題
ベルク『日本の風景・西欧の景観−そして造景の時代』16は、古今東西の事例をふまえて、現代の都市景観が歴史的にどのようにつくられてきたか、また認識されてきたかを論じた地理学の分野の仕事である。本書の最も重要な点は、未来へ向けての提案を行なっていることである。すなわち「西欧で近代の風景の危機から生まれたポスト二元論と、世界が知るようになったもうひとつの大きな風景の伝統つまり東アジアの伝統において前提とされる非二元論」(171ページ)が総合された新しい風景をつくろう、という、まちづくりに関わる者へのメッセージである。
同書の副題で使われている用語「造景」は、(関係性はないらしいが)1996年に創刊された隔月刊誌の名前となる。隔月刊誌『造景』17は各地の風景をつくりだしている営みをタイムリーに伝えている。
『再発見される風景−ランドスケープが都市をひらく』18は主にヨーロッパと日本の、ランドスケープ・アーキテクト、美術史家、建築家など、諸分野から参加があったシンポジウムの記録である。実際にランドスケープを創る仕事に関わった発言者の関心は、作品のコンセプトやテクスチヤーだけでなく、作品の舞台である都市との関係、都市内部での緑の役割、コミュニティ、市民参加など多岐にわたっている。ひとつひとつの関心は、必ずしも系統だったものでなくランダムに林立している印象を受ける。むしろ、だからこそ、ランドスケープが都市をひらく可能性を持つことが期待されると考えられよう。一方、作り手ではない発言者からは、風景と作品との差異について言及がある。シンポジウムを通じて、「ランドスケープ」と「風景」という言葉が曖昧に使われており、両者が微妙に混同している実態に注意を払うベきだろう。
進士他『風景デザイン−感性とボランティアのまちづくり』19は、造園学者、行政、都市コンサルタントの分野を超えた共著である。景観や風景の扱え方についての簡単なレビューに続いて、風景デザインの名のもとで行なわれているさまざまなまちづくりが紹介されている。目指すべき風景像とは何なのか、という問いに対しては、エコロジカルなものやまちの「らしさ」・イメージを強化するもの、というのが本書による答えである。これを参加型のまちづくり手法によって実現していくことが現在の風景デザインの主流になっていることを同書の構成は示している。
町並み研究会『都市の風景計画』20は、欧米の諸都市で実践されている景観・風景計画を紹介している。市街地内での街路景観をどのようにつくっていけばよいのか、市街地と周辺の自然を一体として捉え両者の関係をどのように守り育てていけばよいのか、といった問題に答えるためには、こうした先駆的試みから技術的にも理論的にも学ぶべき点が多い。
ホンマ『東京郊外』21は、画面全てに焦点を合わせるスーパーフラットと呼ばれる手法で郊外を撮った。どこにも焦点のない無性格な風景を表現している。こうした状況にどう対応すればよいのか。特別な場所にだけ存在した「まちなみ」を匿名の都市に持ち込む変換手法を編み出すのか。最近、予定調和型のマスタープランだけに頼るのではなく、魅力的な場所をさらに魅力的にしていくことで、全体の質を押し上げようとする考え方が注目されている。たとえば地区計画制度や熊本アートポリスなどがこの流れに挙げられよう。しかし、魅力的な地区ばかりで都市が埋め尽くされるとは考えにくいし、鳴り物入りの建築プロジェクトは一般解には成り得ないだろう。第一、現実として無性格な都市風景は既に広がっている。たとえばコールハース『ジェネリック・シティ』のように、現状を開き直って容認するのか。それではその先は?
都市風景の問題をつきつめれば、他者との関係をどのように結んでいくのか、ということに真正面から答えることといえよう。風景が、他者の共存する社会における諸活動と呼応するものであるならば、まちを歩き、都市風景を感じ、他者と話し合いをすることによって、その答えが明らかになっていくのではないだろうか。

西村 幸夫(にしむら・ゆきお)
窪田 亜矢(くぼた・あや)
(『すまいろん』01年春号転載)