住について考えるための基本図書 19
集落の本

紹介図書 リスト (「*」が付いているものは図書室所蔵)

編著者名 タイトル 出版者 出版年
*1 彰国社 編 日本の都市空間 彰国社 1968
2 明治大学工学部建築学科神代研究室 編 日本のコミュニティ 鹿島出版会 1977
*3 B・ルドフスキー(渡辺武信 訳) 建築家なしの建築(都市住宅別冊 集住体モノグラフィNo.2) 鹿島出版会 1975
*4 東京大学生産技術研究所・原研究室 住居集合論1〜5(SD別冊) 鹿島出版会 1973〜79
*5-1 日本建築学会建築計画委員会 編 住居・集落研究の方法と課題 −異文化の理解をめぐって(1988年日本建築学会秋季大会建築計画協議会II資料) 日本建築学会 1988
5-2 日本建築学会建築計画委員会 編 住居・集落研究の方法と課題II −討論・異文化研究のプロブレマティーク(1989年日本建築学会大会建築計画研究協議会討論資料集) 日本建築学会 1989
6 日本建築学会建築計画委員会 編 計画研究の新しい視座を求めて −アジアにおける住居・集落研究の蓄積を素材に(1996年日本建築学会大会建築計画部門PD) 日本建築学会 1996
*7-1 浅川滋男 住まいの民族建築学 −江南漢族と華南少数民族の住居論 建築資料研究社 1994
*7-2 畑聰一・芝浦工業大学建築工学科畑研究室 エーゲ海・キクラデスの光と影 −エコノス・サントリーニの住まいと暮らし 建築資料研究社 1990
*7-3 茂木計一郎、稲次敏郎、片山和俊 中国民居の空間を探る −群居類住− "光・水・土" 中国東南部の住空間 建築資料研究社 1991
*8-1 高須賀晋、畑亮夫 日本の集落 1〜3(住宅建築別冊 13〜15) 建築資料研究社 1979〜84
*8-2 法政大学百周年記念久米島調査委員会 編 沖縄・久米島の総合的研究 法政大学 1984
*9 二川幸夫 編 世界の村と街 1〜10 A.D.A. EDITA Tokyo 1973〜75
*10-1 D・フレイザー(渡辺洋子 訳) 未開社会の集落 井上書院 1984
*10-2 R・ウォーターソン(布野修司 監訳) 生きている住まい −東南アジア建築人類学 学芸出版社 1997
*11 佐藤浩司 編 シリーズ建築人類学 世界の住まいを読む 1〜4 学芸出版社 1998〜99
*12 石毛直道 住居空間の人類学(SD選書54) 鹿島研究所出版会 1971
*13-1 泉靖一 編 住まいの原型I(SD選書61) 鹿島研究所出版会 1971
*13-2 吉坂隆正 住まいの原型II(SD選書77) 鹿島研究所出版会 1973
*14 日本建築学会 編 図説 集落 −その空間と計画 都市文化社 1989
*15-1 原広司 集落への旅(岩波新書) 岩波書店 1987
*15-2 原広司 集落の教え100 彰国社 1998

※本文中の番号は上のリスト番号に対応

●集落への関心 −その大きな流れ
集落はいささか捉えにくく漠然とした概念である。今どき国内を旅行しても、それが「集落」であることを直感させるようなまとまりのある村にはめったにお目にかかれなくなったからである。少なくとも、1960年代の高度経済成長期を迎えるまでは、日本でもそこここに集落は存在していた。住居が、ある規則のもとに一丸となってアイデンティティを表現し、神社や寺などを布置し、生活の面でも生業の面でも強い自立性を保っていた。失われつつある日本の伝統空間を読み直そうとする動きが出てくるのは60年代の半ばである。雑誌『建築文化』の「日本の都市空間」1 が引き金になって、集落の伝統的な形態を写し取るデザイン・サーベイが盛んに行なわれるようになる2 
そして、時期を合わせるようにして、ルドフスキーがニューヨークのモダン・アート美術館で開催した写真展の冊子が日本に紹介されるのだが3 、この小冊子が当時の若手建築家や研究者の関心を海外にも向けさせることになった。建築家が関与しない、地域の土着的な建築のもつ造形の美しさは、デザイン・サーベイにはない後頭部を一撃されたような迫力をもっていた。その後もこれに類するM・ゴールドフィンガーやP・オリバー、E・ギドーニなどの著作が次々に輸入された。デザイン・サーベイの蓄積はその後も生きて、まちなみ保存やまちづくりなどの手法に影響を与えることになると認識しているが、国内を対象とするブームは70年代半ばになると、徐々に収束していった。
70年代になると東大生研原広司研究室が世界をめざして集落調査を開始する。以後、5回に及ぶ壮大なフィールドワークを実施するが、その特徴は調査のスケールにおいて、また調査の内容や方法において従来の研究と著しく異なり、しかも対象への認識を常に問い、空間記述の方法を模索している点に斬新さがあった4 。後に原研究室の活動は、調査をともにした藤井明に受け継がれ、集落を記号として解読する作業とともに、事例のアイデンティティを読み込み、データベース化することにも力が注がれている。
80年代に入ると、日本建築学会の大会講演発表会のなかに、海外の住居や集落を調査しその成果を発表する事例が急増し、間もなく発表項目のなかに「海外居住」なるセクションが新設されるようになる。このような研究の動きを受け、88年の学会秋季大会では、「住居・集落研究の方法と課題」と題する建築計画協議会が開催されている5 。96年にも学会秋季大会にて、アジアの住居・集落研究を対象にして「計画研究の新しい視座を求めて」と題するパネルディスカッション6 が開催され、海外の住居・集落研究が建築計画研究の一部門として定着するのである。
以上が、私の認識する「集落」への関心の大雑把な流れである。むろん、さまざまな立場の人たちがそれぞれに関心をもち、多くの足跡を残しているが、関心の持ち方には時代によって大きな波があった。まず、ものづくりの現場にいる建築家たちが、いち早く集落の魅力に反応する。間もなく大学で教える建築家たちが学生とともに実測を始めて、輪郭のハッキリしない導火線に火をつける。そして海外研究の環境が整った後に、研究者たちが外に飛び出し、それぞれの関心に基づいて集落調査を実施していくのである。

●集落研究と一対をなす住居研究
集落は常に住居を構成要素とし、それらを布置するしくみに特徴が表れる。だから、仮にA、B2つの集落があるとするなら、Aを構成する住居aはBの集落の構成要素にはなり得ないのである。あたりまえのことのようであるが、奥深いテーマである。集落に個性が顕現する背景はおおむねそこにある。とうの昔にそのような関係を喪失してしまった現代の地域と住宅の関係をみれば、おおよその理解が可能である。
つまり住居と集落は不可分の関係をもつのである。したがって、少なくとも集落に関心をもってこれらを明らかにしようとすれば、住居や屋敷の空間構成に踏み込まざるを得ないことになる。住居の空間構成や住まい方に集落の構成原理を読み取り、集落という全体に対して部分をなす住居の働きやそれらを調整する仕組みを読み込むのである。ところが、とくに海外の集落を対象にする場合、その集落を取りまく地域の特徴をどのように理解するかという問題が発生する。対象への関心の持ち方、スタンスによって、集落寄りの研究と住居寄りの研究の発生する余地を生むのである。例えば、先の原・藤井などの視点は集落寄りに位置づけられ、浅川滋男や畑などの視点7 はどちらかといえば住居寄りに位置づけられる。集落を調査・観察する時間には限度があり、集落も刻々と失われつつあるから、この多見主義と一見主義は異文化理解の両刀と考えてよい。

●建築家は空間に、研究者は生活に、関心を寄せる
集落の造形は多くの建築家の心をひきつけてきた。日本の集落については、地図を使って全国を隅なくあたり、空撮と地上からの撮影とによって村々を記録した高須賀晋・畑亮夫や、沖縄におけるフィールドワークの一部をまとめた武者英二らの著作がある8 。一方、海外の集落については、すでに70年代に二川幸夫が『世界の村と街』と題する写真シリーズを出版している9 
集落の周辺については海外から数限りなく本が出ているが、邦訳されているものには、民族学的な内容に立ち入ったものが多い10 。佐藤浩司が<シリーズ建築人類学>として編纂した4冊は、異文化のそれぞれについて住まい方を概略知ることのできる貴重な文献である11 。古くは民族学者の石毛直道が『住居空間の人類学』を著し12 、雑誌『都市住宅』で連載された「文化人類学の眼」は後に泉靖一や吉阪隆正の編纂で出版されている13 
一方、わが国の集落空間を計画する立場から編纂したものもある。学会の農村計画委員会がまとめた『図説・集落』14 である。わが国では戦後、伝統的な集落が急速に失われていく運命にあったが、当時は開発への価値観に抗して持続や保存をテクストにして研究を進めることは困難であった。そういった流れを踏まえてこの本は総括されている。

●集落への誘い
海外に集落を求めて旅をすると、まだ私たちの空間観をくつがえすような集落が残っている15 。いまは、どこへ行っても、それぞれにグローバル化の波に晒されており、すべてが健在であるとはいえないが、わが国に較べれば、アイデンティティはしっかりと維持されている。とくに東南アジアのインドシナ半島の奥部からインドネシアなどの島嶼部にかけての地域と中央アフリカのサハラ砂漠とギニア湾に挟まれた国々は、世界の民族居住の襞(ひだ)のような場所であり、無数といいたくなるほど多くの民族が、それぞれに特徴ある集落を形成して自らのアイデンティティを形象させている。
集落はもとより多様な要素を内在させている。もはや建築という分野にこだわって調べる対象ではない。そこには、人間が幾世代にもわたって築きあげた知恵が集積しており、進歩という幻想に惑わされて近代社会が欠落させてしまった遺伝子が生きている。それらは一度滅びてしまえば、二度と復元できないものである。例えば、エネルギー、環境、資源といった近代社会がことさら問題にせざるを得なくなった課題に対しても、共生するしくみとして緻密に練りあげられている。だから、集落については、体験なしに読んで知識が得られるものとは言いがたい。五感を尽使して、感じ取るものである。そうすれば、異文化の衝撃とともに、旅する人の心を癒やすという間接効果も期待できる。

畑 聰一(はた・そういち)
(『すまいろん』01年冬号転載)