第51回
(話題)  江戸・明治・大正のすまい
(要旨)
接客用座敷が南側のよい位置を占めるのは封建制の象徴であるように言われ、事実、明治になるとほとんどの場合南側にあるが、江戸時代の大多数の「さむらい屋敷・一棟住まい」を古図面と実地調査で調べると、南側とは限らず道路に面した方に座敷を設ける例が多い、と資料・スライドを使って解説した。かつ、古いものほど道路原則が強く、だんだんと南側原則に変化していったと推論した。更に「さむらい屋敷」の座敷は接客空間というより主人の生活空間であり、この変化は生活重視への変換と言える、明治期の座敷は接客部分と言われているが、時代が下がると、お膳から卓袱台(ちゃぶだい)へ、そして茶の間が出現し、大正末から家族団らんの場として南側へと移っていく近代化がみられた、と論じた。
玄関と座敷の関係、屋敷替の状況、農家・町屋の座敷、南面の意味など、多面にわたった。