●異文化建築への最初の視線
1901年,伊東忠太は北京へと向かった。義和団事件で日本軍を含む8カ国連合軍が占拠した北京紫禁城の調査が目的である。その契機は極めて帝国主義的であったが,日本人建築史家による始めての海外フィールド・ワークとして記憶すべき事件であった。翌年忠太は,さらに世界建築旅行という大事業を開始する。3年3ヶ月かかって,中国,インド,中東,ヨーロッパ,アメリカを通過する,文字どおりの世界1周旅行である。この時の紀行文は『伊東忠太著作集5 見学・紀行』で読むことができる。いわば,われわれ日本人による建築的視線による最初の異文化居住の記録である。
日本人にとって異文化の建築,すまい,都市というのは,明治維新以来,おおかた学ぶ対象としてとらえられてきた。明治政府が採用した欧米崇拝主義とジョサイア・コンドルによって移植された歴史主義的視線の合体である。伊東忠太の視点はややざっぱくながら,しかしそれまでのように先進モデルとしてのみ異文化のすまいや都市を見ているわけではない。好奇心に富んだ伊東忠太は,その視線をフルに活用した。そこには先見性が溢れていた。が,同時に非西洋を蔑視する眼も潜んでいる。伊東忠太が晩年にこの世界旅行を十返舎一九ばりに書き直した『西游六万哩』,そして,道中に描いたスケッチの中国部分の復刻『伊東忠太見聞野帳 清國』を同時にみるならば,戦前の建築史学が到達した異文化理解の面白さと,そして,その限界を知ることができる。
●伊東忠太を継ぐ者たち
異文化の都市やすまい,建築,環境について,モデルとしてではなく,好奇心(もしくは,自文化の相対化)から見ようとする動きは,今,盛んになりつつある。伊東忠太の正の部分がまっとうに継承されて繁栄している証でもある。
丸善で刊行されている香山壽夫監修の「建築巡礼シリーズ」や八木幸二監修「建築探訪シリーズ」は,その典型である。全世界とは言えないが,日本語で異文化のすまいや建築文化について,一点突破的理解が謀られている。難を言えば,やや紀行文的であり,この学問領域の世界の最先端に到達はできず,分量も少なくて読書堪能というところまではいかない。イギリスのカントリー・ハウスについて書いたジルアード『英国のカントリーハウス 上・下』(住まいの図書館出版局)など,文献を渉猟して全体像を描きだそうとする欧米人たちの粘着質の重厚さには勝てそうもない。
これだけ,多数の日本人研究者たちが海外調査をしているのにもかかわらず,充実してこない背景には,建築出版界の事情と書き手側の資質の両方の問題があるのだろう。まあ,欧米についてなら,向こうの論文の寄せ集めや翻訳でごまかすことができるけれど,それがない非西洋の建築文化については,一から始めなければならず,仕方がない。ただ,その分,研究者の行く手にはまだやるべき大きな空白があって,研究者のチャレンジ精神をそそるのだと前向きに解釈しよう。
最近出た九龍城探検隊編『大図解九龍城』は,九龍城砦のもつ空間の本質にせまることは無理だったようだが,圧倒的な調査力と香港九龍城砦の実像にただただあきれる。94年に撤去された高層超過密ビルの来歴とすまい方が詳細に描かれた断面図によって,ビジュアルに理解できる。なお,宮本隆司の『写真集 九龍城砦』やプレイ・ステーションのゲーム・ソフト『クーロンズ・ゲイト』も,この異文化の超過密居住,九龍城砦の実態を知るためのよいテキストである。
建築デザイン学と建築計画学で,研究の対象とする日本の町並み,民家や農村が枯渇して,海外調査に進出し始めたのは1980年代半ばから。ただ,このふたつの学問領域の宿命として設計活動に寄与しなければという強迫観念に圧されて,その調査の量に比して刊行された成果は多くない。計画学による海外調査の実態を知るには,日本建築学会・建築計画委員会編『住居・集落研究の方法と課題』,『住居・集落研究の方法と課題U』,を見るとよい。もっとも,これによってわかるのは研究の実態であって,海外居住の実態ではない。
デザイン学と建築計画学の少ない成果のうちのいくつかは,しかし,基本文献として眼を通しておかなければならない。
茂木計一郎率いる芸大グループの中国の民家のデザイン・サーベイ『中国民居の空間を探る』は,バラエティに富む中国漢族の民家をちょっと知りたいときに便利である。郭中端・堀込憲二『中国人の街づくり』や茶谷正洋らの窰洞考察団『生きている地下住居』,布野修司『カンポンの世界』は,それぞれ,台湾,中国黄土地帯,インドネシアのカンポンという居住地域の実態をフィールド・ワークを通じて総合的に明らかにしたもの。建築学による地域研究の見本のようなもので,こういったものが各国各地について刊行されるとよいのだが。
鈴木成文監修・都市住居研究会『韓国における「日式住宅」 -異文化の葛藤と同化』は,韓国における日本の植民地時代の変容が語られている。歴史と計画学が合体した希有な成果だ。
●すまいの源流と本質をさぐる
伊東忠太は異文化建築文化観察の元祖であるが,日本にはもう少し学術的で,まじめな研究はもちろんある。村田治郎の学位論文『東洋建築系統論』に発するフィールド・ワークと文献を駆使した真摯な建築史研究である。この住居の流れとその遠源をさぐるというテーマは現在も引き継がれ,杉本尚次編『日本のすまいの源流』がその中間報告的位置を占めている。それまで地理学や文化人類学によってなされていた住まいの調査研究は,ここで建築史学にバトンタッチされ,1980年代半ば以降の建築史学の海外のフィールド・ワークへとつながっていく。
浅川滋男『住まいの民族建築学』はその最先端の成果であり,著者は以後続々と調査報告を出している。単行本になった成果は乏しいが,佐藤浩司,乾尚彦の研究調査報告は,常に見ておく必要がある。単なるモノグラフ的な調査報告ではなく,すまいの本質,居住の近代化などに対する鋭い問題意識が常に見られる。とりわけ,佐藤の「学界展望 -民族建築史」(『建築史学』12・13に所収)は,この領域を研究史的に概観する際にまず見るべきガイドである。
都市史では,陣内秀信・高村雅彦『中国の水郷都市』,『北京 都市空間を読む』がある。イタリアやイスラム都市の研究の,土地と建物を読み解く独特のフィールド・ワーク手法を継承したものである。また,泉田英雄のチャイナタウンの一連の研究は,大文明建築史学の隙間をついた,華僑たちの都市づくりを斬新な切り口で分析するものであるが,まとまって見られるまでにもう少し時間がかかるかもしれない。筆者たちのハノイの調査も,まとまるまでにはもう少し猶予が必要である。
いずれにしても,非西洋世界のすまい・建築・そして都市についての文献は,それほど多くはない。ただ,10年後には,相当の量と質になるに違いない。
村松 伸(むらまつ・しん)
(『すまいろん』98年冬号転載)