2017実践研究報告集統合版
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図1‐1 コーポラスはりま竣工時の写真播磨町において,農住団地建設を推進したのは,播磨信⽤農協あた播磨信⽤農協は兵庫県内農住団地建設を1.実践活動の背景農住都市建設と農住団地農協であった。播磨信⽤農協は,兵庫県内の農住団地建設を推進する協議体,兵庫県農住都市推進協議体「都市近郊農村における新しいまちづくり」において,神⼾⻄農協とともにモデル農住地区に選定された。神⼾⻄農協は播磨信⽤農協に先駆けて,農住団地建設を進めており,播磨信⽤農協はコーポラス建設検討者に向けたツアーを何度も企画している。播磨信⽤農協は1972年に建築委員会を設置,1974年に1.1農住都市建設と農住団地1970年代,都市のスプロール化がすすんだ。その⼀つに,都市圏近郊農地の開発によるベッドタウン建設がある。さまざまな主体が開発⾏為をおこなった中で,農協が中⼼になって検討した農住都市建設(構想)がある。その構想の前1967年,農住都市構想推進者の⼀⼈である中⻄⼀郎a)は雑誌「農業協同組合」にて「⾃ら⼟地利⽤計画をたてることによって能率のよい農業と⾼層住宅群をうまく播磨信⽤農協は1972年に建築委員会を設置,1974年にコーポラスはりま1期17棟を建設した。翌年には2期⼯事が着⼯し,1期2期で29棟(584⼾いずれも賃貸)が完成した。1期,2期いずれも物件所有者からなる株式会社を設⽴し,共同運営をおこなった。それぞれが別会社であったが,事務所は同じ建物にあり,⽇常的な交流があった。物件所有者は,⽇常的に事務所に集まり,⽇々の出来事や,今後の運営などについての対話に時間を費やしていた。また物件所有者の多く兼業農家あたをたてることによって能率のよい農業と⾼層住宅群をうまく組み合わせて,農村地帯の所得上昇をはかることは考えられるし,農と住の併建が両⽅にとって快適なものであると思う」と述べ,物価対策と都市の住宅不⾜を⼀挙に解決する⽅策として農住都市構想を発表した。農住都市建設の⼤半は農協,農住組合(1981年農住組合法施⾏によって創設)が中⼼となって,実施した。体的初動年農林省が農村住宅地建くは兼業農家であった。建設当初は,⼈⼯島に⼯場を置く⼤企業が,社宅として⻑く満室の状態が続いた。2005年を過ぎた頃(築30年を過ぎたあたり)から徐々に社宅契約は解約され,多くの棟で空室が⽬⽴つようになった。⼊居率の格差が⼤きくなったことから,株式会社を解散させた。結果,1期17棟のうち5棟は解体し⼟地を売却または新規アパート建設をおこない,11棟は具体的な初動としては1970年に農林省が農村住宅団地建設計画モデル地区を⽇本各地26地区,期間3年で選定し,農住団地の建設を推進した。1.2コーポラスはりま農住団地について兵庫県加古郡播磨町は姫路・神⼾の間に位置し,漁業と農業が中⼼の穏やかな集落であった。1970年以降,周辺都市部の発展に伴ってベッドタウンとして急速に⼈⼝が増えた。体し⼟地を売却または新規アパト建設をおこない,11棟は管理業務を不動産会社へ委託するなどして,賃貸を継続することとなった。折しも,2009年ごろはそれぞれの棟で所有者の相続があった時期でもあり,賃貸を継続するか,解体するかの判断は,その影響も受けている。ある棟では早い時期に世代交代が進んでおり,解散の議論が始まる以前に株式会社から抜けた。部の発展に伴って,ベッドタウンとして急速に⼈⼝が増えた。1974年には,町の⾯積の1/3を占める⼈⼯島が建設され,⼤企業の⼯場を誘致している。今回の実践対象であるコーポラスはりま1期17棟(以下,コーポラス)は1974年に建設た。住総研 実践研究報告集 No.44, 2017年版 普及版 3

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