2021実践研究報告集NO.2023
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ながら,実機実測調査と聞き取りを⾏い,図⾯や動画で記録する。次に,来⼭⽒による織機製作の記録と並⾏して,製作⽤図⾯作成と実機製作を本課題の実施主体である中継織機保存再⽣委員会メンバーと協⼒者で実践する。その際には,2017年9⽉に研究資料として地元農家から引き取り,福⼭⼤学建築学科に保管展⽰してある⼿織中継織機(織機Aとする。製作年不詳)(図12)も参照した全体に朽ちていて再⽣不能詳)(図1-2)も参照した。全体に朽ちていて再⽣不能であるが,細部も残っており⼀通りの構造と動きを確認できる。主査らは,これまでも来⼭⽒が使⽤する⼿織り織機(織機Bとする。1993年製作)の外形⼨法を実測して,図⾯作成したことはあったが,実機製作を前提としたものではなく概⼨であり,仕⼝や⾦物などの納まりは不明確であった⽂7)。⼨法や納まりだけでなく,製作⼯程も記録すると共に,製作効率や強度,機能,調達材料に応じて製作⽤の補正図⾯を作成する。2.⼿織中継職⼈・来⼭淳平来⼭淳平⽒(図2-1)は,1932(昭和7)年11⽉20⽇,広島県沼隈郡千年村(現,福⼭市沼隈町能登原)で⽣まれた。国⺠学校⾼等科2年から新制中学3年に編⼊し卒業後15歳から⾃宅近くの室浜で船⼤⼯として⽣し,卒業後15歳から⾃宅近くの室浜で船⼤⼯として⽣計を⽴て,39歳で地元⼤⼿造船会社に就職する。その後体調を崩したこともあり,50歳代半ばの1980年代に,会社の別事業として,伝統産業館で⼿織り中継ぎを実演することになった。当時現役の⼿織中継職⼈であった故・寺岡⽂⼦⽒から製織技術を継承すると共に,船⼤⼯の経験を⽣かして独⾃に織機製作技術も修得した。これまでに来⼭⽒は,博物館や個⼈等の依頼図1-2 農家から移設した福⼭⼤学保管の織機A(2017.9.4)を受けて約10台を製作している。60歳の定年退職後に,福⼭市沼隈町能登原の⾃宅横に製織⼯房(以下,来⼭⼯房)を構えた。現在,伝統技法を継承する唯⼀の⼿織中継職⼈であり,2014年度広島県技能者表彰,2015年度厚⽣労働⼤⾂表彰「卓越した技能者(現代の名⼯)」,2016年秋に⻩綬褒章を受賞している。畳の施⼯事例において,藺草や畳表の⽣産者名まで公表されることはほとんどないが,2017年修理の国宝瑞巌寺本堂(岩⼿県)の上々段の間(図2-2)の6畳には,来⼭⽒による⼿織中継表が使われている⽂12)。過去30年間の⼿織中継畳表の新規施⼯事例は,ほぼ来⼭⽒の製織によるものと考えることができる注2)。図2-1来⼭淳平⽒図2-1 来⼭淳平⽒図2-2 ⼿織中継畳表と瑞巌寺上々段の間

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