2.備後中継表2.1中継織りの技術史中継織りは, 備後地域で独⾃に発展し継承された短い藺草の穂先を中央で継いで織る技術である(図2-1)。1596年,旧沼隈郡⼭南村(現在の福⼭市沼隈町)の⻑⾕川新右衛⾨(菅野⼗郎左衛⾨)が考案したとする伝承はあるが,詳細は不明である⽂3)。当初は,短い藺草を有効利⽤するために考案されたはずであるが後世この効利⽤するために考案されたはずであるが,後世,この中継表が⾼級品となる。藺草の⽣態の限界を超えて品種改良し,無理に⻑藺を育てるのではなく,「中で継ぐ」という製織技術の向上で⽣産性と品質を⾼めたのである⽂3)。⽣来的には継ぎ接ぎの低廉品であった中継表が,いつ,どのようにして⾼級品に変わったのか,今後の研究課題である。いずれにせよ,備後地域で独⾃に継承してきた「中継」は,備後表のアイデンティティであり,備後表継承の鍵となる。2.3動⼒織中継六配表図2-1 「中継畳表発⽣の地」と中継表の裏(左)表(右)図2-2 来⼭式⼿織中継織機の3⾯図(出典:⽂献4)と農家に保管されていた来⼭式⼿織中継織機現在,稼働する動⼒中継織機は,当該再⽣織機も含め,全国で5台確認できた。その内,商⽤として常に稼働し,⽂化財修理などに実績をもつものは,福⼭市芦⽥町の有限会社佐野商店(以下,佐野商店)のもつ「動⼒織中継六配表(登録商標)」(以下,中継六配)の織機だけである⽂2)。国宝瑞巌寺本堂(宮城県)修理の際に,既存の中継ベース機を74配の幅広(3尺5⼨=1060mm)に改造した。配とは畳の⽬のことであり本間(京間)68配より6配多い中継六配の経⽷2.2⼿織中継織機本課題実施に先⽴ち,唯⼀の⼿織中継職⼈である来⼭淳平⽒に材料や機構を聞き取りしながら,来⼭⽒の⼿織中継織機を実測し,57種80パーツ全ての部品図を作成し,図⾯化・CG化して記録を終えた⽂4)(図2-2)。調査の過程で特定する名称のなかったこの型の⼿織のことであり,本間(京間)68配より6配多い。中継六配の経⽷は,(74配+⼩⽬4+⽿2)×2=160本の⿇ダブルに特注で整経される。2014年に熊本県⼋代市の株式会社⼭園織機製作所(以下,⼭園織機)と佐野商店が協働で開発したものである。その後も多くの⽂化財修理に⽤いられているが,商習慣もあり,畳施⼯事例において,備後藺草や備後表の⽣産者の名が表に出ることは少なく,トレーサビリティの観点からも課題である⽂1)。調査の過程で,特定する名称のなかったこの型の⼿織中継織機を,歴史的経緯を踏まえ,「来⼭式⼿織中継織機」とした⽂3)。また,同型式の破損した織機を備後地域の農家より引き取り,将来の復元のために福⼭⼤学に保管している。また,⾵は内部の通⾵だけでなく,先述の遮熱の⼯夫にあたり,年間を通じて得られる強い⾵が外壁や外部の⽇射遮蔽物等の熱を逃がすことも想定している。
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