2018実践研究報告集NO.1721
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で表現してもらった。若い学生たちには住戸でなく、住棟周囲や団地の外部空間が印象に残ったことがわかった。10月の花見川団地100円商店街というイベントには大学チームにもお呼びがかかったので、色紙に団地ハイクをつけて展示したが、団地ハイクも団地の外部空間を詠んだものが多かった。8月の現地調査では住宅評論家の植田実さんと団地設計のエキスパートであるDワークの藤沢毅さんに参加していただいた。植田さんからは『住む心の仕組みをどう作るのか』というサジェスチョンなど示唆に富んだお話があった。この問いかけが後述の「団地ヘリテージ」という発想を生んだようにも思えるし、赤羽台団地内の複数の既存住棟に対し日本建築学会から保存再生要望書を提出してもらう(2018年7月)ことに展開した。このように①若い学生の現地調査による発見と提案、②専門家・関係者へのインタビュー、③研究発表ワークショップを行い参加者からのコメントを知見として採用することを縦糸と横糸のように織り込む調査と研究発表ワークショップを繰り返すことがわれわれの実践的研究のエンジンとなった。2. 課題の把握と抽出以下「『団地力』の活用による団地再生方法の実践的研究―40年代大規模団地の問題点と解決策を『団地力』から検討する―」と題する住総研へ提出の最終報告書より抜粋。最終報告書2.1. 第1回花見川団地+高津団地現地調査:2017年6月24日第1回現地調査は工学院大学木下研究室と法政大学渡辺研究室のメンバーで行われ、両大学混合の6グループが6つのゾーン分けした団地内を見学した。一部住戸内部も見学することができた。この見学を「気づき調査」と位置づけて、その後各自が色紙に見学した団地の範囲で一番印象に残った箇所をスケッチに描いた。その際、両団地の人口動態グラフも作成し、状況の把握、共有を行った。「気づき調査」は潜在的に団地に潜んでいる力、普段はなにげなく見逃してしまうものを顕在化することが目的であったが、多くの学生の第一印象が団地の住戸についてではなく、外部空間の豊かさに集中したことが印象的である。「多種多様な植栽がある」「植物園のような団地」「利用可能性の高い空地が多い」「魅力的な小道」「住棟周りに植栽のバッファーゾーンがある」といった、すぐれた周辺環境に対するコメントが目立った。この調査により、築後半世紀を経た団地においてみどり豊かな環境が、見逃してはならない潜在力として存在することに改めて気づかされた。写真2‐1植田氏と団地の視察を行った2.2. 第2回高津団地+花見川団地+高津団地現地調査/ 植田実氏インタビュー:2017年8月29日:植田実さんは「いえ団地まち―公団住宅設計計画史―」の著書で木下庸子の共同執筆者である。残暑のなか、植田さんには高津団地、花見川団地の順で視察いただき団地再生の実践に向けて大きなヒントをいただいた。それは、50年以上住み続けられたコンクリート造の公団住宅を我が国の近代文化の重要な文化財として考えてはどうかという意見である。この考え方は以降の我々の団地力研究会にひとつの大きな方向づけを与えてくれた。2.3. 小島道夫氏インタビュー:2017年9月23日:小島道夫さんは昭和31年に大学を卒業され、公団に入られた住宅公団一期生である。設計者として花見川団地に携われたと聞きインタビューをお願いした。当時の花見川団地の設計時の思いを、地元とのやり取りを含めて伺えたことは、花見川団地の歴史を今後に継承するうえでの重要な基盤となった。社会が公団に大量生産を求めていた時代に「8,000戸級(7,291戸)の賃貸と分譲の混合団地」として花見川団地は誕生した。それらを単年度で発注しなければならなかったという。大量生産のためには標準設計を住戸プランに採用し、「同じものを繰り返すことでコストを落としたり間違いを減らしたり」することで対応したそうだ。そのようななかで配置設計だけが設計者にとってやりがいがある仕事だったそうだ。公団で小島さんは「団地係」のチーフとして活躍された。当時は「団地係」と呼ばれる、10人くらいのスタッフを率いるチームが複数あって、「団地係」が設計から現場監理までを担っていた。チームの10数人各自が案を出し合ってそのなかから一案が実施案として選ばれたそうだ。図1-3花⾒川団地、⾼津団地⼈⼝プらミッド(2000年)図1-4花⾒川団地、⾼津団地⼈⼝プらミッド(2017年)
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