2018実践研究報告集NO.1720
3/10

討する取り組みを行なってきた。新川田篭地区の多くの茅葺き民家がトタンを被せられている中,内ヶ原集落には従来の茅葺きのままの民家が1棟残っている。この茅葺き民家は約40年間,空家の状態だったが,その間も所有者の家族が茅の葺き替えなどのメンテナンスを行なってきたため,比較的良好な状態で保たれていた。しかし諸事情からそれも難しい状況となり,2016年には取り壊しが検討されていたので、われわれはその建物を借り受け,その活用と持続の道筋を探る企画を提案した。さいわい所有者の理解が得られ,取り壊しは延期となり始まったのが,この「内ヶ原の家」プロジェクトである。今回の茅葺き屋根の自力修復を通して,現代における茅葺き民家維持の技術を検討するとともに,多額の資金や公的補助がなくとも伝統的民家が持続するあり方を模索した。2.活動の概要対象とする建物は,建設が江戸期とされる茅葺き民家で,40年ほど前に空家となったが,その後も市内に住む子孫家族により維持管理され,茅葺き屋根に関しても2002年に葺き替えが行われている(図2-1,2-2,)。その際に寄棟の4面のうち3面が葺き替えられたが,東側1面はそのまま手が加えられなかった。そのため,東面がかなり痛んだ状態となっており,今回はその部分を対象に自力による修復を試みることとした。2017年9月より3回にわたって,当該地区も含め広く茅葺きを手がける三苫義久氏(奥日田美建)から茅葺きの専門技術を学んだ。同時に,今回の修理方法の選択についても専門家の助言をもらった。それにより,茅葺きには職人が自ら作る専用の道具が必要で一般には市販されていないことがわかり,メンバーによる道具製作を行うことにした(9月〜10月)。11月から現場工事に着手し,足場の設置,老朽化状況の調査,補修方法の検討を12月にかけて行なった。並行して,茅等の屋根葺き資材の調達に努めた。その後,現地での試行を踏まえて工法を修正しながら工事を進めた。工法が確定した段階で,住民や一般市民が参加する茅葺きワークショップを開催することにした。事前に集落内外に広報を行なった。2018年1月7日に開催したワークショップには,多数の参加を得た。作業終了後,内ヶ原公民館にて懇親会を催し,集落住民,地域外参加者,茅葺き職人らが茅葺きをめぐって懇談した。ワークショップ後も茅葺き補修工事を継続した。2018年2月に今回の工事の完了に至った。続いて,茅場再生プロジェクトに着手した。従来,茅葺きの茅はそれぞれの地域内で確保されており,入会地としての茅場が共同体によって運用されていた。戦後にその多くが消失し,近年では茅が専門業者によって生産され,売買される。それを再び地域内循環資源として生産し,茅葺き材料として使う営みの形成を目指そうというものである。その試行として,耕作放棄地となっている旧棚田を借り受け,茅を育成することにした。まず,新川地区の候補地を検討・選定し,借用の許可を得た。また,茅の育成や生産についての情報収集や生産者へのヒアリングを行い,今回の方法とスケジュールを検討した。そのようにして実施計画はほぼ確定したが,屋根に使える茅が育つまでには長い年月を要する。現在はその準備段階にあり,年内の植付けワークショップ開催を目標に現地での作業を行なっている。3.茅葺き補修プロジェクト3.1破損状況の確認と補修方法の検討まず,軸組について耐久性に問題があり長期使用には本格的な補強が必要であることがわかったため,今回の修復は,対症療法的な補修である「差し茅」を選択することにした。次に,足場を組んだ段階で,この東面の素材が茅ではなく杉皮であることが判明した。林業が盛んだった当該地区では,昭和期を中心に杉皮葺きによる屋根面補強が普及している。茅にくらべ杉皮は耐久性に優れ,50年ほどの寿命がある。この民家も,当初は茅葺きだったものが,昭和期に全体が杉皮葺きとなったと考えられる。それが2002年の葺き替えによって3面が茅葺きとなり,東側が古い杉皮葺きのまま残されていたのである。その杉皮が老朽化して脆い状態となっており,表面が凹み,部分的に「ホコ竹」(茅を押さえつけて止める竹材)が露出していた(図3-1,3-2)。今回の補修では,傷みのひどい部分を補強し,薄くなった屋根材を充填し屋根厚を増やすことにした。図2‐2<内ヶ原の家>断面図図2‐1<内ヶ原の家>平面図

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る