2019実践研究報告集NO.1718
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1. 実践研究の背景と⽬的筆者らは,東⽇本⼤震災後の復興過程において,孤⽴を防ぐコミュニティづくりの⽀援を,宮城県内(仙台,塩釜など)を中⼼に仮設住宅から災害公営住宅⼊居後にかけて取り組んできた。2016年10⽉からは「NPO法⼈つながりデザインセンター・あすと⻑町(つなセン)注1)」を⽴ち上げ,現在も各地で取り組みを続けているこうした取り組みでの経験を熊本地震の続けている。こうした取り組みでの経験を熊本地震の被災地に活かそうと,関係ができたテクノ仮設住宅(熊本県益城町・516⼾)において,2016年8⽉から情報交換等を実施してきた。そして当初は,あすと⻑町(仙台市)で展開してきた仮設住宅で育まれたコミュニティを災害公営住宅に継承するプロセスの⽀援の実践を想定し,地元での⽀援体制構築の準備を進めてきた。あすと⻑町第1災害公営しかしながら,仮設住宅でのコミュニティ形成とその継承への⽀援が求められる状況に⾄らなかったため,他の⽅法論での⽀援を再検討し,筆者らが清⽔沢東災害公営住宅(塩竈市)で取り組んできた,災害公営住宅移⾏期からのコミュニティ形成⽀援へと内容を切り替えて⽀援体制構築を⽬指して情報提供などを実施し,⼀定の成果がみえてきたところである。あすと⻑町第2災害公営図2-1あすと⻑町災害公営住宅の概要そこで本稿では,筆者らが東⽇本⼤震災において取り組んできたあすと⻑町,清⽔沢東でのコミュニティづくり⽀援の内容とそこから得られた知⾒を整理(2章)し,その上で,益城町で取り組んできた⽀援内容とそこでの成果(3章)を⽰す。またそれらを踏まえて,過去の災害復興を次に活かす上での課題と展望(4章)について⽰唆を加える。2015年4⽉に3ヶ所の災害公営住宅の⼊居が始まったが,居住者の約3/4は主にみなし仮設住宅から個別に⼊居してきた世帯であった。⼊居半年後に実施したアあすと⻑町第3災害公営2. 東⽇本⼤震災での復興⽀援2.1 あすと⻑町(仙台市)での取り組みと知⾒2.1.1 仮設住宅から災害公営住宅へのコミュニティ⽀援仙台市内最⼤233⼾のあすと⻑町仮設住宅は,市内で最初(2011年4⽉下旬)に⼊居が開始されたが独居⾼ンケート調査注1)の結果では,家族以外に「⽇常的な会話がない」と回答した世帯が45%に上るなど孤⽴が懸念される状況に陥っていることがうかがえた。そこで,まずは⾃治会結成にむけて住⺠有志同⼠の会議運営の⽀援を開始し,2016年4⽉までにそれぞれ⾃治会を発⾜することができた。また,⾼齢者等の居場所となっていた仮設住宅の集会所のように利⽤の多い状況最初(2011年4⽉下旬)に⼊居が開始されたが,独居⾼齢者世帯等が多様な地域から個別に寄せ集まったことで孤⽴が懸念された。そうしたなか,筆者らは⼊居開始当初から学⽣たち(建築系)とともに,居住者の要望に応じて軒先や室内に棚や縁台をつくる活動を始め,これによって居住者らとの関係を築いていった。居住者たちもコミュニティ形成やトラブル解消に向けた取り組みを積極的になっていた仮設住宅の集会所のように利⽤の多い状況を災害公営住宅でも再現しようと,仮設住宅で⽀援を展開してきたNPO,ボランティア,⼤学研究室等10数団体が連携する形で「つなセン」を設⽴し,⾼齢者等の孤⽴を防ぐまちづくりを継続的に展開していくことにした。⼀⽅,災害公営住宅では集会所の⽔光熱費が居住者側の負担となるが,それを⾃治会費から捻出するかた展開していった。また,仮設住宅の集会所では,毎⽇のように外部からの多様なイベントやお茶会などが開催され,和やかな雰囲気とともに活気のある状態が続いた。⼊居1年後ころから,新たに育まれたコミュニティを継承し,孤⽴せずに暮らせる災害公営住宅の計画提案を居住者とともに制作していく取り組みを約1年間ちにすると使⽤を抑制する懸念があるため,⾃治会役員らと検討し,受益者負担となる利⽤料⾦制(半⽇300円程度)にして,そこから捻出させることにした。現状では3ヶ所の災害公営住宅の集会所ともに,外部団体の利⽤頻度が⾼く,そこに居住者の⾼齢者等が参加するという構図となっている。つなセンでも,⽉2,3回の⾷堂活動を催し,毎回20-30名程の参加があり現在まで90回ほど開催している案を居住者とともに制作していく取り組みを約1年間展開していった。居住者とともに練って作成した計画案の実現は適わなかったが,仮設住宅の近隣に3ヶ所の災害公営住宅(計326⼾)が建設されることになった。そこで,コミュニティ⼊居制度を活⽤して,それぞれのつながりを維持した形で約80世帯が⼊居できることができた。30名程の参加があり,現在まで90回ほど開催している。2.1.2 あすと⻑町での取り組みからの知⾒あすと⻑町での活動を通して得られた知⾒として,⼤きく2つある。⼀つは仮設住宅で育んだコミュニティを災害公営住宅へ継承する意義,⼆つめは集会所を「みんなの居場所」とする条件を⾒出せたことである。

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